スポットライト(BOOK SIDE STORY2018)

本や音楽を思いのままに紹介する。
それでも言葉にこだわり、思いを伝えたい・・・
そして思いの中に魂を込める。
虚飾を排し、嘘を捨て去る。

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2018.11.12 Monday

学者アラムハラドの見た着物

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    JUGEMテーマ:読書

     

    昨日は自作の絵本作りのことを記したが、そのテーマは宮沢賢治である。

    そこで、今日は宮沢賢治の未読の童話を探して読んでいた。

    その中で、印象に残ったのが「学者アラムハラドの見た着物」である。

    学者アラムハラドは教えている11人の子どもたちにこう問う。

     

    火はあつく、乾かし、照らし騰る。

    水は冷たく、湿らせ、下る。

    鳥は飛び、また啼く。

    魚について獣についておまえたちはもうみんなその性質を考えることができる。

    けれども一体どうだろう、小鳥が啼かないで、魚が泳がないでいられないように人はどういうことがしないでいられないだろう。

    人が何としてもそうしないではいられないことは一体どういう事だろう。

     

    この問いに対して、一人ひとりの子どもたちが答えていく。

    その一人である、セララバアドは「人は本当のいいことは何だかを考えないではいられないと思います。」と答える。

    アラムハラドはこの言葉を聞き、こう告げる。

    「うん。そうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。おまえたちはよく覚えなければならない。人は善を愛し、道を求めないでいられない。」

     

    この話には実は結末がない。なぜなら、原稿が紛失したり、原稿が空白になったまま終わっているからだ。

    最終的に賢治はどこにこの話をもっていきたかったのか定かではない。

    ただ、いえるのはアラムハラドの話は賢治にとっての抜きさしならぬ体を貫いていた信念であったように思える。

    自己を犠牲にしてでも悩めるものを救うという精神=徳であり、賢治の理想とは何かを考えさせてくれる作品である。


    2018.11.08 Thursday

    三谷幸喜の「清須会議」

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      JUGEMテーマ:読書

       

      司馬遼太郎の「新史太閤記」の中でも織田信長亡き後の家督を決める「清須会議」の場面に興味をいだいた。

      そこで、早速三谷幸喜の「清須会議」(幻冬舎)を買い求めた。

      現代語文で書き表してあるので、スラスラ飛ぶように読める。

      気が付けば、あと50ページである。

      清須会議のキャスティングボードを握ったのは一体誰であったのかということが一番の主題であろう。

      読み手によって意見は分かれるであろうが、個人的には丹羽長秀であるような気がする。

      勿論、その丹羽長秀を懐柔する秀吉の「人たらし」こそ一番であるとは思うが。

      いずれにしてもこの5日間の会議がその後の歴史を変えたことは間違いのない事実である。

      合戦にも劣らぬ心理戦の攻防。

      その中でも勇猛果敢な柴田勝家がお市の方に恋い焦がれるさまは滑稽であり、笑ってしまうほどである。

      寧々、松姫といった女性陣も実は大きな役割を果たしており、興味深い。

      しかも登場人物の一人称のモノローグで進んでいくので、心情の移り変わりが良く分かる。

      久しぶりに肩の力を抜いて気楽に楽しめる小説に出会えた。

       


      2018.11.07 Wednesday

      戦国期 尾張侍VS三河武士

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        JUGEMテーマ:日記・一般

         

        「新史太閤記」を読了した。

        私は、あまり他の読者の評価は読まないようにしているのであるが、Amazonのレビューにざっと目を通して見たところ、どうして絶頂期のままの段階までしか書かなかつたのかという意見が散見された。

        つまり、秀吉晩年の朝鮮出兵についてなどの記述がなされていないことへの不満である。

        私自身の考えであるが、司馬遼太郎は書きたくなかったのではないかと思う。

        その理由として、秀吉の人物論として晩年以外は、人を殺すことを極力嫌ったという記述が小説の随所に見られるからである。

        晩年の秀吉の姿は本来の彼のもつ人間としての器量を逸脱した愚挙であると司馬遼太郎はとらえていたのではなかろうか。

        そんな気がしてならない。

         

        ところで同じ司馬遼太郎の作品である「覇王の家」と比べてみると、小牧長久手の戦いの記述において、あっさり書かれているという印象を受けた。全体を通してこの合戦を概観すれば、戦術的には家康の勝利、戦略的には秀吉の勝利といわれる戦いである。

        徳川家康にとってみれば、長久手の戦いこそ生涯において彼の名声を確立した戦いはない。

        戦場諜報にかけては家康のほうが秀吉よりも一枚上であった。

        秀吉が、戦いとは戦う前に既に勝つと確信して戦うものという考えにたった武将であることは以前にもこのブログ上で記した。

        しかし、家康はそれ以上に固かった。大胆さなどという言葉は彼の精神の中には一切ない。

        それがこの戦の雌雄を決した。

        秀吉側の池田勝入斎の猛勇さ、言い換えれば己ひとりの武功のためにという華美を求める尾張侍の典型たる行動が家康を筆頭とする篤実な三河武士に敗れたということである。

        三河武士の最たる人物の一人が安藤直次である。

        秀吉側の「鬼武蔵」といわれた森長可及び、さらに突撃し池田勝入斎を討ったにも関わらず、その功を他者に譲ることなど三河以外では考えられないことであった。まさにその姿は、山本周五郎の戦国武士道に登場する武士に通ずる振る舞いであった。

        「生涯奉公のみにて私心なかりし」

        彼を表す言葉である。

         


        2018.11.06 Tuesday

        司馬遼太郎の筆力 新史太閤記を読む

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          JUGEMテーマ:日記・一般

           

          司馬遼太郎の筆力にあらためて感服している。

          いま読んでいるのは「新史太閤記」(新潮文庫)である。

          言わずと知れた豊臣秀吉の一代記である。

          文庫本で1000ページという長編であるが、あれよあれよと読み進め、もう下巻の半分を過ぎた。

          豊臣秀吉といえば、そのエピソードをはじめ今までにドラマなどでもさんざん取り上げられてきた人物であるので、情報として知っていることも多いのであるが、こうして改めて司馬作品に触れ、新たに垣間見える秀吉像もあり非常に興味深かった。

          芸術的な「人たらし」の才能は見事なほどであるが、戦におけるその作戦思想に天賦の才があったことが理解できる。

          明智光秀を討つためにたてた戦略ほどそれを如実に言い当てている。

           

          戦は勝つべき態勢をつくりあげることである。

          味方を増やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標にしていた。

          合戦のもつ投機性を減らし、奇蹟を信ぜず、物理的に必ず勝つ態勢で盛り上げていく。

          ー必ず勝つという態勢ができてからはじめて戦をする。

          戦とは、それをはじめる前に既に勝っていなければならぬ。

           

          彼をして戦の神秘的天才といわれた毘沙門天 上杉謙信をも所詮は旧式の田舎大将と評したといわれている。

          その他、清州会議での三法師推戴論および自分がその庇護者になるという、人間一生の内の生涯一度だけの知恵をしぼった悪事いうほどの論理の鋭さには恐れ入るばかりである。

          読書の愉しさを思う存分味わっている。


          2018.11.04 Sunday

          潮鳴り

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            JUGEMテーマ:読書

             

            葉室麟の「潮鳴り」(祥伝社)を読み終えた。

             

            ひとは己の思いのみで生きるのではなく、ひとの思いを生きる。

             

            豊後羽根藩の武士 「襤褸蔵」こと伊吹櫂蔵がたどり着いた境地。

            弟の無念の自害、酌婦お芳との出会いを通じて、人の心の温もりを知りはじめて深い愛を得る。

            しかし、待っていたのはお芳の死。

            深い絶望のなかにあって、お芳の最期の言葉を叶えるべく、強く生きることを決意し藩の不正を暴くにいたる。

             

            生きてください 生きてください

            そして見せてください

            櫂蔵様の花を

            落ちた花がもう一度咲くところを

            だから生きてください

             

            潮鳴りの中に聞こえるのはお芳の囁きであった・・・

             

            勧善懲悪という分かりやすい筋立ててはあるが、それぞれの登場人物の造形がしっかり描かれており、読後感もよく十分に読書の楽しさを味わうことができた作品である。

             

             

             


            2018.11.02 Friday

            荒海を渡る鉄の舟

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              JUGEMテーマ:日記・一般

               

              鳥羽亮の書下ろし「荒海を渡る鉄の舟」(双葉社)を一気に読了した。

              主人公は山岡鉄舟である。

              先日、読んだ「蒼天見ゆ」にも登場し存在感を示したあの山岡鉄舟である。

              世間では「無刀流」の創始者という剣豪というイメージが一番強いかも知れない。

              自分もこの小説を読むまではそう思っていた。

              山岡鉄舟が幕末において成し遂げた一番の大仕事は、江戸城を無血開城するにあたっての、駿府にまで迫っていた官軍総督である西郷隆盛に勝海舟の書状を届けるという大役を仰せつかったことであろう。

              まさに身命を賭したの行動であった。

              「私は、官軍の陣営を突破し、ここまで来ました。縛につくのが当然です。」

              そして、無事江戸についた時に、鉄太郎(鉄舟)の報告を聞いた勝海舟にこう言わしめた。

              「さすが、山岡だ。西郷を説得するなど、山岡でなければ、できないことだ。」

              佐幕派、勤皇派で揺れている世相の中、勤皇派に対して理解をしめしながらも一環として江戸幕府を守ろうとした姿勢には、揺るぎない信念がみなぎっている。

               

              「いくら技を磨いても、剣の極意を会得することはできない。心技一体といってな、心も磨かねば、ただの棒振り剣術なのだ。」

              「無刀流」の真髄である。


              2018.11.01 Thursday

              敵討

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                 

                「蒼天見よ」は日本最後の仇討を描いた小説であることは記した。

                葉室麟に先行する形で小説に著した作家が吉村昭である。

                「敵討」(新潮文庫)という2編の仇討ちに材をとった小説集に収めれている。

                葉室麟の作品と一番異なる点は、吉村昭は史実に沿ってあたかもドキュメントというような感じで極力センチメントなる情緒を排して描き切っているところである。

                あとがきで著者自身、「敵討」などという個人と個人の問題などを小説にするなどとは思いもよらなかったと語っている。

                その背景には、ここで描かれている敵討が行われた歴史的な時代というものが色濃く反映している。

                「敵討」は幕末の水野忠邦の改革期の出来事であるということ、つまり単なる個人間の争いではなく、幕府内の政争が絡んでいることが挙げられる。

                そして「最後の仇討」は以前にも記した通り、明治6年の「仇討禁止令」発府に象徴される新しい価値観と仇討ちを善とする今までの考え方との相克の中で起きた出来事であり、その時代に生きる人々の複雑な心情を描いてみたかったということである。

                吉村昭は好きな作家のひとりである。

                一番好きなのは「長英逃亡」(新潮文庫)であり、長英の逃亡劇をハラハラドキドキしながら読み切ったことを懐かしく思い出した。


                2018.10.31 Wednesday

                蒼天見ゆ

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                  JUGEMテーマ:読書

                  病に倒れて3週間になろうとしている。

                  床に臥している時間が長いのだが、起きているときはひたすら読書に親しんでいる。

                  葉室麟の「蒼天見ゆ」(角川文庫)を一気に読了した。

                  主人公は臼井六郎。九州は秋月藩の執政 臼井亘理の長男である。

                  舞台は幕末。尊王攘夷に時世が揺れる中で起きた開明派である亘理及び母 清の寝こみを襲う惨殺事件。

                  犯人は攘夷を高々と掲げる干城隊の面々。非は明白でありながらも、お咎めなしの処置ですませる福岡藩。

                  その当時の幼少の六郎に仇討ちを果たせるわけもない。

                  その後、主犯の山本克己の仇討ちを心に固く誓い、後に東京に上京し「日本最後の仇討ち」を果たす物語である。

                  ただ、目に前に立ちはだかる壁は、明治6年に発せられた「仇討禁止令」。

                  江戸時代では美徳であったあものが、明治に入れば大罪。

                  そんな中にあっても六郎の決意は揺らぐことはない。

                  仇討ちを果たすまでの描写はとてもサスペンスフルである。事実を土台にしている由縁であろう。

                  この小説にあって大きな役割を果たしているのが無刀流の創始者 山岡鉄舟である。

                  六郎の師匠にして、仇討ちに終始理解を示した恩人である。

                  その他にも勝海舟、森鴎外、大隈重信など歴史上の人物が数多く登場し、小説に濃い陰影を与えている。

                  仇討ち後の東京集治監での生活の様子も描かれており、味わい深いものがある。

                   

                  風蕭々として易水寒し

                  壮士ひとたび去って

                  復た還らず

                   

                  獄舎の中で六郎が何度も書いた古代中国の詩である。

                   


                  2018.10.29 Monday

                  戦国武士道物語「死處」 周五郎の傑作アンソロジー

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                    JUGEMテーマ:日記・一般

                    心境の変化というのは確かに訪れるものである。

                    今まで、ロック一辺倒だった嗜好がクラシックに変わったこと。

                    本に関しても、今年は9割以上が歴史時代小説を読んでいる。

                    それも司馬遼太郎と山本周五郎に集中している。

                    その要因は何だろうかと考えてみたのだが、人生も半ばを過ぎ、自分の人生を振り返るようになったことが挙げられる。

                    今や未来を見据えるのではなく、改めて自分の「来し方」を見つめるようになった。

                    そういう意味ではさきに挙げた二人の作家はその灯りをともす存在である。

                    「坂の上の雲」のあと、いま山本周五郎の「死處」(講談社文庫)を読んでいる。

                    山本周五郎の武士道物といわれる作品のアンソロジーである。

                    一番の触れ込みは77年ぶりに発見された原稿である「死處」が収めれていることであろう。

                    その「死處」と「城を守る者」はテーマや構成が酷似している。

                    未発表のままとなる運命の「死處」の構想に愛着があったと想像することは難くない。

                    我執を捨て、他人の無責任な誹謗中傷に耳を貸すことなく、主君や藩のために身命を賭して自分の果たすべく責任を全うする武士の心意気を著した作品である。

                    この2作品のみならず収録されている作品すべてに周五郎の真髄というものが感じ取れる。

                    特に自分が好きなのは「石ころ」である。

                    武士にとって大切なことは兜首を挙げ、手柄を誇ることではなく、戦に勝つために目の前の敵を討つために全力を注ぐのみという多田新蔵の姿に素直に心うたれるのである。

                    「青竹」の主人公、余呉源七郎のまっすぐなひたむきさもいい。

                    この度、講談社が素晴らしいアンソロジーを編んでくれたことに望外の喜びを感じている。


                    2018.10.27 Saturday

                    日本海海戦 東郷平八郎の言葉

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                      司馬遼太郎の労作「坂の上の雲」もいよいよ最終巻の終盤である。

                      文庫本にして計8冊にも及ぶ大長編であったが、一気呵成に読んできた。

                      こういう読書体験も今までにあまりないことである。

                      それだけ日露戦争というものが自分の心に強く引き寄せられた証拠である。

                      先日は陸軍における戦いについて書いた。

                      今日は、歴史的な大勝利に終わった日本海海戦についてである。

                      作戦参謀のこの物語の主人公の一人である秋山真之は勝利の要因を天祐という言葉を使っている。

                      まさに神懸かりのような圧勝であった。

                      「わが方の損害は水雷艇3隻」

                      極東の海上権を制覇すべくロシア帝国の国力をあげて押し寄せてきた大艦隊が、二十七日の日本海の煙霧とともに蒸発したように消えた。

                      イギリスの海軍研究家であるH・W・ウィルソンはこう語った。

                      「なんと偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利というものを見たことがない。」

                      そして、この海戦が世界史を変えたことを指摘している。

                      「連合艦隊」を解散するときの東郷平八郎の最後の言葉が印象的である。

                      「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦わずにして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治安に安んずる者よりただちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよと。」

                      ウラジオストックに遁走することを主眼においたロジェストウェンスキーと死を賭して旗艦三笠の艦橋に立ち尽くした東郷平八郎の武将としての「覚悟」の違いが戦争の運命を決したといっても過言ではないだろう。

                      しかし、その三笠の佐世保港での自爆による終焉というのも事実は小説よりも奇なりという印象を強く残す。

                      「坂の上の雲」についてはまだまだ記したいことがある。

                      自分の人生に大きな影響を与える本であることは間違いない。


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