スポットライト(BOOK SIDE STORY2019)

本や音楽を思いのままに紹介する。
それでも言葉にこだわり、気持ちを伝えたい・・・
そして思いの中に魂を込める。
虚飾を排し、嘘を捨て去る。

<< April 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

2019.03.15 Friday

待望の文庫化 「騎士団長殺し」

0

    JUGEMテーマ:読書

    今年に入ってジャズばかり聴いているということはブログの記事タイトルにしていることからも周知のとおりであるが、久々にクラシックを聴いた。

    メンデルスゾーンの弦楽交響曲である。

    私の心を触発したものは村上春樹の現時点での最新長編である「騎士団長殺し」(新潮文庫)である。

    3月に入り、やっと文庫化された。この日を心待ちにしていた。

    あっという間に第一部も残り僅かである。(文庫本にして660ページ)

    かつて、日本文学の最高到達地点と題して、「ねじまき鳥クロニクル」を紹介したことがある。

    それから、かなりの年月が流れたが、私の中でその評価は変わっていない。

    圧倒的な面白さであった。

    その「ねじまき鳥クロニクル」とメタファーとして相似している部分があることを読み始めてすぐに感じた。

    例えば、井戸である。今回は、高さ3メートル、直径2メートルの石室の中の空間である。

    死に限りなく近接するために、そして恐怖を乗り越え、自己を克服するためにその中に閉じこもることを選択する登場人物の姿は、「ねじまき鳥クロニクル」の主人公の姿と重なるものがある。

    また、主人公の置かれた状況。今回は、突然妻に別れを切り出され、途方に暮れる姿もである。

    加えて歴史的事象とくに第二次世界大戦に関わる事柄との関連性もそうである。ノモンハン事件とアンシュルス。

    村上作品を形成する特有の世界観の象徴的な一片と言っても良いかもしれない。というか「ねじまき鳥クロニクル」との相関性の高さとも言える。

    そういう観点から見れば、作品としてのオリジナリティにはいささか不満はあるが、その物語の面白さは抜群で、ぐいぐい引き込まれている。ページを止めることに苦労する小説である。

    クールでありながら、ドライすぎず、ミステリアスでありながら荒唐無稽ではないリアリティ。

    混ぜ合わされる素材のその調合の量が見事なほどに絶妙で、きっと唯一無比のカクテルなのだろうなあと思う。

    「真実が時としてどれほど人に深い孤独をもたらすものか

    こんな小見出しひとつの付け方に比喩の天才としての凄みを感じる。流石である。

     


    2019.03.10 Sunday

    蜩の記

    0

      JUGEMテーマ:読書

      久々に葉室麟の小説を読んでいる。

      人気の羽根藩シリーズの記念すべき第1作目となった「蜩の記」(祥伝社)である。

      330ページの単行本も気が付いてみれば残り30ページである。

      やはり葉室麟は読ませる作家である。

      藩主の側室の暗殺を守りながらも、敵愾視する一派からのありうべきもない不義密通の罪に問われ、切腹の命を受けた戸田秋谷。

      そして、命の刻限を決められた中で、家史編纂を黙々と続ける秋谷。

      その秋谷のいわば切腹までの日々の見張り役として派遣された壇野庄三郎。

      この男にとってもこの役目は切腹を免れる仕事であった・・・。

      こういう設定がまず面白いし、読者の心を惹きつけるのである。

      葉室麟作品にみられる登場人物の造形描写が非常にくっきりとしているので、それが読み易さに繋がっている。

      意外性はないのだが、テレビの人気時代劇を見るかのように安心して作品を味わえるのである。

       

      人との縁について語る松吟尼の次の言葉が心に響いた。

      松吟尼とはかつての側室であり仏門に入ったお由の方である。

      「この世に生を受けるひとは数え切れぬほどおりますが、すべてのひとが縁によって結ばれているわけではございませぬ。縁で結ばれるとは、生きていく上の支えになるということかと思います。」

      「美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そういうものだと思うております。」

      「たとえ思いが果たされずとも、生きてまいらねばなりませぬ。されど、自らの想いを偽ってはならぬと思うております。」

       

      家史に隠された陰謀をどのような形で明らかにするのか。

      秋谷の運命は?まさに興味の尽きないラスト30ページである。

       


      2019.02.15 Friday

      『人情が、したたる。』山本周五郎の傑作短編集

      0

        JUGEMテーマ:読書

        「児次郎吹雪・おたふく物語」(河出文庫)を一気に読んだ。

        山本周五郎の人情物の傑作短編集である。

        特に、タイトルにもなっている児次郎吹雪は初の文庫化である。

        何と言っても一番の読みどころは「おたふく物語」の3部作が全て収録されているところにある。

        善意の塊のようなおしずとおたかの姉妹の姿に、素直に心打たれる。

        3部作目の「おたふく」では貧しく、倹しい暮らしを続けてきたおしずが高価な簪や帯留め、男物の袷などを持っていることに懐疑の目を向け、嫉妬心を抱き始めた亭主の貞次郎に対して、その経緯を妹のおたかが切々と語るシーンに、胸の中からこみ上げてくるものがあった。

        図書館で読んでいたのであるが、目頭が熱くなり、涙がこぼれてしまった。

        同収録作「かあちゃん」にしてもそうである。

        たとえ、強盗に押し入ってきた者でさえ、その苦しい境遇に想いを馳せ、捨てておくわけにはいかないお勝の心情にグッとくるのである。

        特に最近、児童虐待に関するニュースが世間を賑わせ、実子でありながら、酷い虐待を繰り返し、死にまで追い込んだ事件があるだけに、周五郎の描く人情物を読むことで静かな感動に満たされるのである。

        今日は小雪も散らつく寒い一日であったが、周五郎の作品に触れ、心は温まった。

         

        「人情が、したたる。」

        帯のキャッチコピーがこの作品の全てを語っている。


        2019.02.04 Monday

        村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団

        0

          JUGEMテーマ:読書

          今日は珍しく仕事が休みなので、いつもの図書館に来ている。

          村上春樹の「村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団」(朝日新聞社)をのんびりと肩の力を抜いて脱力状態で読んでいる。

          ジャズの話が多く出てくるかと思いきや、音楽に関してはPopsとお約束のビーチボーイズについてが多い。

          大傑作と呼び声も高い「ペットサウンズ」は自分もCDを持っているが、大好きというアルバムではない。

          やはりビートルズの方が遥かに心を奪われた。

           

          村上春樹のこの作品はちょうど「スプートニクの恋人」が書き上げられた時期と重なる。

          勿論、読んだのだが、再読していないので細かな内容までは覚えていない。

          ある種の「パワー」を感じたという漠然とした印象は残っている。

          しかし、村上春樹の作品としては自分の中では凡庸という評価の域を出ることはない。

          他に相応のインパクトを与えられたりインスピレーションを喚起されたりした作品が多くあるから致し方ないことであろう。

           

          「村上ラジオ」にはダンキン・ドーナツの話題が多く出てくる。

          ダンキンが英語ではdunkinでドーナツをコーヒーにつけて食べるところからつけられた名前であることを初めて知った。

          こういう小洒落た薀蓄話は好きである。

           

          昨年は1年間を通じて、時代歴史小説に明け暮れた毎日だったので、今年は未読の村上春樹の作品を片っ端から読み耽っていこうかなと思っている。と言ってもほとんど読んでしまっているのだが・・・

           


          2019.02.04 Monday

          走ることについて語るときに僕の語ること

          0

            JUGEMテーマ:読書

            久しぶりに村上春樹の本を読んだ。

            「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋)である。

            あとがきで本人が述べているように、この本は彼によっての「メモワール」である。

            そんなに厚い本でもないし、軽妙なタッチで書かれているので、すらすらと読めるのであるが、内容はある意味哲学的でもあり示唆に富んでいる。

            例えば、こんな文章が出てくる。彼はひとつの結論としてこう語るのだ。

             

            『ロッキーのテーマ』はどこからも聞こえてこない。向かっていくべき夕日もどこにも見えない。

            まるで雨天用運動靴のような地味な結論だ。それをアンチ・クライマックスと人は呼ぶかもしれない。

            ハリウッドのプロデューサーなら、映画化の企画を持ち込まれても、最後のページをちらっと見ただけで相手にしないだろう。

            しかし、詰まる所、このような結論こそが僕という人間に相応しいのかもしれないな、という気もしないでもない。

             

            現実の人生にあたっては、物事はそう都合よく運ばない。我々が人生のあるポイントで、必要に迫られて明快な結論のようなものを求めるとき、我々の家のドアをとんとんとノックするのはおおかたの場合、悪い知らせを手にした配達人である。

             

            私はこの本に対して激しいシンパシーを覚えた。

            そして、心の中で深く頷く自分を発見した。

             

            そして、視線を向けるべきは空ではなく、自分の内側だと語る。深い井戸を覗き込むみたいに。

            そこにあるのは希望のかけらなどではなく、あくまでも自分自身そのものを形成している性格(ネイチャー)だ。

            重たいボストンバックのように、ずるずると引きずって来た己の性格(ネイチャー)である。

            それをこれからも引きずりながら生きていくのだ。

            村上春樹の場合、それは続けられる限り続けるというスタンスである。走ることも、小説を書くことも。

             

            そして、本を静かに閉じてふと考える。さて、自分は自分の何を引きずってこれから生きていくのだろかと?

             

             

             


            2019.02.01 Friday

            Yessir,That's My Baby

            0

              JUGEMテーマ:日記・一般

              JUGEMテーマ:読書

              いま、図書館で過ごしているのだが、好きな音楽を聴きながら、好きな本を読むという贅沢な時間を満喫している。

              聴いているのは、前回のブログでも紹介したオスカー・ピーターソンとカウント・ベイシーの共演作「Yessir,That's My Baby」である。

              和田誠と村上春樹の共著である「Portrait in Jazz2」(新潮社)によれば、オスカー・ピーターソンを評して、「尻尾の先までエネルギーが満ち溢れている人」ということになる。

              私は今までに名前は耳にしながらも真剣に聴いてこなかった。

              しかし、ベイシーとの共演作を聴いていて、なるほどそのスイング感には半端のないバイタリティがあるなあと痛感した。

              別の評論家は陽気なだけで物足りないと言う人もいるが、私はこの無邪気なスイング感が好きである。

              同じスイングといっても、デイブ・マッケンナのそれとはやはり違いがある。

              マッケンナのピアノソロはまさに小粋にローリングしていくような軽快さが感じられて、ある意味都会的な佇まいを見せるのであるが、ピーターソンのそれは興が乗ったら脇目もふらずにひたすら走り抜けると言う感じである。

              また、カウント・ベイシーのオルガンもいいのだ。独特のうねりのある音色。

              日本で言えば、演歌のような歌い回し。これにハマるとずっと聴き続けていたいと言う気になる。

              テナー奏者ズート・シムズの共演作に加えて、またひとつ愛聴盤が加わった。嬉しい限りである。

               


              2019.01.13 Sunday

              周五郎節炸裂 傑作短編集「おさん」

              0

                JUGEMテーマ:読書

                2019年の読み初めは山本周五郎の短編集「おさん」(新潮文庫)である。

                一言で言おう。

                周五郎を代表する短編集の「傑作」であると。

                特に、表題作の「おさん」は男から男へと渡らずにはいられない性癖ゆえに、好きになった男を次から次へと不幸に落としてしまう女性を見事に描いている。結末は悲惨なのであるが、そこは周五郎。僅かは光が差し込む締めくくりである。

                「ー人間生きているうちは、終わりということはないんだな。」

                主人公の参太のこの言葉が深い余韻を与える。

                 

                「岡場所」ものの「夜の辛夷」も実にいい味を醸し出している。

                周五郎は鼠小僧のような義賊を英雄扱いすることを嫌った作家である。

                盗みは盗みであり、その盗みによって不幸な運命に晒された人々の姿に目を向け、どんな理由があるにせよその行為を正当化することをしなかった。

                この物語にも、その周五郎の思いは滲み出ている。

                父が不幸な縊死を遂げ、その後を追うように狂死した母親の姿を見て、この世の冷たさを呪い盗賊に身を染めた元吉。

                苦しい境涯に身を落とし、年齢をごまかしながら子どものために必死で働きながら、兇状持ちの密告という形で礼金を得ているお滝。

                二人の人生が交錯するという物語の設定の巧みさ。そして、周五郎節炸裂とも言える結末。

                 

                年の初めにこういう素晴らしい小説を堪能することができたことは幸せなことである。

                 

                 

                 

                 

                 


                2018.12.27 Thursday

                山本周五郎の流儀

                0

                  JUGEMテーマ:読書

                  今日はほぼ昼間、図書館にいて、貪るように山本周五郎の短編集「つゆのひぬま」(新潮文庫)を読んでいた。

                  併せて「周五郎流ー激情が人を変える」(NHK生活人新書)も読んだ。

                  山本周五郎は悦びよりも哀しみ、苦しみの中にこそ「人間」がいるという信念をもち、負の感情に突き動かされながら「人間」が何をどうしようとしたのかこそが問われるべきであるというスタイルを貫いた。

                  彼自身こう語っている。

                  「文学の場合は、慶長5年の何月何日に、大阪城でどういうことがあったのか、ということではなくて、その時に道修町のある商家の丁稚が、どういう悲しい思いをしたかであって、その悲しい思いの中から、彼がどういうことを、しようとしたかということを探究するのが文学の仕事だと私は思います。」

                  またこうも語っている。

                  「人間の人間らしさ、人間同士の共感といったものを、満足や喜びの中よりも、貧困や病苦や失意や絶望のなかに、より強く私は感じることができる。」

                  周五郎の作品に私が強く惹かれるのは、この言葉に象徴される人間の苦しみの中から這い上がろうともがくその姿に、自分の思いとがオーバーラップする瞬間があるからであろう。

                  今日の短編集でもそうであった。

                  「凍てのあと」の栄二にしても「つゆのひぬま」のおひろにしても、人間不信に陥りながらも、ひとかけらの人の情けや思いから希望を見出そうとする姿に心打たれるのである。

                  物語の最後、「嘘をついたままでは死にたくない。」と語るおひろのこの言葉。

                  どんな立場や境涯であろうとも、人間はその心の内に善なるものをもっているということを書き続けた周五郎の「らしさ」が見事に表れている場面である。やはり、作家の中で一番好きなのは、山本周五郎である。


                  2018.12.16 Sunday

                  司馬遼太郎の短編集を味わう

                  0

                    JUGEMテーマ:読書

                    何か本が読みたくなると、司馬遼太郎か山本周五郎の作品を手に取り、読むことにしている。

                    この二人の日本文学史上の巨人が残した作品は膨大な量に上り、まだまだ未読の作品は多い。

                    最近読んだのが司馬遼太郎の短編「馬上少年過ぐ」と「軍師二人」である。

                    「馬上少年過ぐ」の表題作は伊達政宗の生涯に触れた作品であったが、それ以上にこの短編集の中で心惹きつけられたのは無名とも言える野伏上がりの小大名 脇坂安治である。

                    戦国期、豊臣秀吉の命を受け、単身近江の赤江悪右衛門を訪ね、降伏を勧告する場面。

                    内通を疑われ、汚名返上とばかりに僅か数十騎を引き連れて伊賀上野城に馳せ参じ、見事に城を奪い取る場面。

                    愚直なまでの真面目さだけが取柄の安治の姿は、滑稽なまでのひたむきさとして読者に訴えかけてくるものがある。

                    しかも、それらの武功が「貂の皮」の霊験であるという筋立ても面白かった。

                    また、「軍師二人」では「侍大将の胸毛」に登場する藤堂高虎に仕えた渡辺勘兵衛の大阪冬の陣での天晴れな武者ぶりに心踊った。

                    「戦は勝てば良いのじゃ。敵がそこにおるのに、後方の御本陣の顔色を見て遅疑する馬鹿がどこにある。」

                    これが主人に向かっての言葉なのだから、豪傑そのものだ。しかし、敵方の井伊直孝をして「あっぱれ大剛の士」とまで言わしめた勘兵衛も主人である高虎からはついぞその功を認めてはもらえなかった。

                    大阪の陣での藤堂家の功績の多くは勘兵衛の働きによるものが大きかったが、勘兵衛は禄を返上し退転した。

                    最後まで剛毅を貫いた武士であった。

                    司馬遼太郎の長編では味わうことのできない無名の武士たちの生き様に引き込まれるのである。

                    また、この短編では家康の女性観なども描かれており、性的な艶っぽい描写も多く出てくる。

                    山本周五郎との決定的な違いを見た思いがした。

                     


                    2018.12.08 Saturday

                    明治の中学地理の教科書 九州の輪郭は?

                    0

                      JUGEMテーマ:読書

                      おもしろい本を見つけた。「100年前のビックリ教科書」(じっぴコンパクト新書)である。

                      明治の初めから太平洋戦争当時の教科書36冊を選び、図解付きで紹介している。

                      何と言っても「おもしろい」と感じるのは明治期の教科書である。

                      開国を果たし、西洋になんとか追いつきたいという思いが「学制」や「教育令制定」につながり、その必然として教科書が編まれていくわけであるが、子どもに知識を身につけさせたいという思いが工夫を通り越して何やら滑稽さを帯びたものになっているなど読んでいて飽きない内容となっている。

                      特に、明治35年=1902年に発行された中学地理教科書 日本之部の内容、「邦土の輪郭」はまるでクイズである。

                      本州は龍の如く、四国は蝙蝠の如く、北海道は鳥の翼の如くまではまあ許せる。

                      ところが九州の例えのところで笑ってしまった。

                      今の子供達にこの問題を出してこの比喩を言い当てられる者はいないであろう。大人でも無理だと思う。

                      答えは「九州は猿が舞うが如し」である。どう見立てたら猿になるのだろうか。編纂した人に尋ねてみたい。

                      しかも、邦土の中に台湾が含まれていることも驚きである。

                      ちなみに台湾は桜の葉の如しである。

                      また、新潟県と和歌山県だけが地方の中に含まれず単独で扱われているなど謎がいっぱいである。

                      教科書は時代を映す鏡だと筆者が言っているが、今後どのように変わっていくのか楽しみでもある。

                      タブレットの中にデジタル教科書として全教科収められているなんていう時代が来るのではないだろうか。

                       


                      ▲top