雪の上の霜 三沢伊兵衛とおたよの物語ふたたび

0

    JUGEMテーマ:読書

    久しぶりに月間10冊以上読破する勢いである。

    まさに人生においての何度目かの活字中毒症状を呈している。本当に、読書することが楽しくて仕方ない。

    最近では山本周五郎の短編集「人情裏長屋」「やぶからし」(新潮文庫)を立て続けに読了した。

    どちらも短編集としては平均的な内容であるが、嬉しかったのは「人情裏長屋」の中の一編にあの「雨あがる」でお馴染みの三沢伊兵衛とおたよの物語が収めれれていたことである。

    「雪の上の霜」である。

    学問、武芸に秀でていながらも、自分のことより他人を優先する謙譲さが染み付いてしまっているため、出世がままならない三沢伊兵衛。その伊兵衛が巻き起こす爽快な物語の続編である。

     

    「人間が生活していくためには、大なり小なり他人を押しのけなくてはならない。伊兵衛にはそれができなかった。眼に見えなければいいけれど、少しでも、自分が誰かを押しのけ、誰かの邪魔になっている、ということがわかると、決してその席にとどまることができない。相手が気の毒になり済まなくなって、自分から身を引いてしまうのであった。

    ー良人には出世はできない。良人の性質が変わらない限り、決して栄達は望めない。

    おたよはこう信ずるようになった。

    ーけれども夫は、いつも誰かを幸福にしている、当然自分が占めるべき席、当然、自分が取って良い物、それらをいつも他に譲ってしまう・・・・これで良いのだ。良人には稀な能力がある、しかもその能力で。いつも誰かに幸福を分けている、これで良いのだ。」

     

    一方でそう思う健気な妻おたよのために何とか幸福を与えたいと悩む伊兵衛の姿に深く共感するのだ。

    そして、今回もまた。

    果たして伊兵衛の溢れる正義感は「雪の上の霜」と揶揄される徒労なのか?

    今回は、伊兵衛のあまりの人の良さゆえ、女性の問題も絡むなどという展開となり物語に興趣を添えている。


    司馬遼太郎の長編、山本周五郎の短編 人生における宝物

    0

      JUGEMテーマ:読書

      8月に入り、ずっと司馬遼太郎を読んでいる。

      大長編の「城塞」を読み終えて感じたことがある。

      それは「インテンポ」ということである。

       

      「インテンポ」とは音楽用語で、指揮者が楽譜通りに的確に音符を刻むことを指している。

      オーケストラをドライブさせるというよりは、作曲者の思いが込められた楽譜を忠実に再現するタイプである。

      晩年のバーンスタインなどは指揮を振る自分自身が作品に没入し、他の指揮者ではありえないほど極端にテンポを落とすなどある意味鼻につく演奏が多くなった。

      司馬遼太郎はそうではなくカール・ベームのように、歌よりもテンポを刻むことを最優先するので、物語の流れが淀むことなく一定のリズムで堂々と進行していくという風格を感じるのである。

      一方で、登場人物の精神的な内面の掘り下げが浅いという指摘がある。人物の最期の場面においても、あくまでも淡々と粛々と言葉少なに描写するという印象が強い。

      そして、最大の特徴である、「余談ではあるが」という筆者特有のドライなユーモアやウィットに包まれた語り口で物語から脱線しながらも物語を紡いでいくのである。言い換えれば、情緒を極力排した語り口である。

      それが読者によっては物足りなさになったり、私のように良さと捉えたりと意見が分かれるのであろう。

      しかし、情緒に偏りすぎない語り口だからこそ、長尺とも言える作品を飽くことなく読ませられるのだと思う。

       

      ただ、今短編全集を読み始めたのだが、やはり短編では司馬遼太郎の語り口の魅力が十分に発揮しきれていない作品も多いように感じた。その点、やはり山本周五郎は短編においてこそ、その魅力を最大限発揮する天才であることを確信した。

      人間の悲しさや苦しさ、喜びを短い物語中に凝縮し、読み終えた後で何やら人間であることに「希望」を見出させる作品が多い。その典型が「雨あがる」のラストの描写である。

      「ねえ、元気を出してください。元気になりましょう。」

       

      司馬遼太郎の長編、そして山本周五郎の短編。この膨大な作品群に出会えたことは生きる宝である。


      城塞 破格の人間ドラマがここにある。

      0

        JUGEMテーマ:読書

        貪るように本を読んでいる。

        司馬遼太郎である。先日、紹介した「功名が辻」は司馬流エンタメの真髄であり、読んでいて痛快さを覚えた。

        今、読んでいる「城塞」(文藝春秋)は謀略の権化とかした徳川家康と大阪城に籠り秀頼を操る淀殿を中心とした女官たちとのある意味滑稽さをも帯びた戦いであり、同時に豊臣家の破滅へと確実に向かうシリアスな人間ドラマである。

        作中、筆者はこう語っている。

        「家康の対大坂政略は、戦いというよりも極めて犯罪の色彩が濃く、これを犯罪とすればその犯行計画は精密を極めた。」

        冬の陣のきっかけとなる方広寺の鐘の鐘銘事件にしても、参謀である金地院崇伝、林道春、天海による言いがかり以外の何物でもないでっち上げ工作の謀議の様子はまさにミステリー小説さながらの面白さである。

        そして、物語の後半に入れば、大阪城から出たことのない「あほう」ではないかとも疑われた右大臣豊臣秀頼が覚醒する。

        それは招募した牢人衆の中でも最も名の知れた後藤又兵衛の影響であった。

        そしてもう一人、家康に負けたことがない真田家の智謀家「真田丸」こと真田幸村の存在である。

        我欲を貫くために謀議を重ね、一種暗い薄汚い我欲をまとった家康対自分のアイデンティティーを確かめるためだけに死に場所を求めて豊臣家に仕えた武士たちとの戦い。夏の陣の火蓋が切られた。

        決戦を決意した又兵衛は大勢の兵の前でこう語った。

        「久しく牢浪して、おそらくはこのまま草木とともに朽ちはつべしと思うたところ、はからずも右大臣家に召し出され、うれしや、かような晴れがましき戦場を与えられた。今生においてもはや悔い残すことはなく、今こそ大恩に酬い参らせるときである。各々頼みに存ずる。」

         

        文庫本にして1600ページという長尺の物語も残すところあと200ページ。

        大阪城の滅亡とともに、この本を読み終えることに何やら寂しさが伴う。

        ずっと読んでいたいと思わせる破格の人間ドラマである。


        功名が辻

        0

          JUGEMテーマ:読書

          正直、スランプである。読書もしているし、音楽も聴いているのだがブログに書こうという気持ちがなかなか湧いてこない。

          まあ、そういう時もあるさと思うしかないのだが・・・

          このところ、久しぶりに司馬遼太郎を読んでいる。

          功名が辻(文春文庫)である。

          大河ドラマの原作にもなった山内一豊とその妻千代の物語である。

          戦国期の権謀術数の時代において、取り立てて武辺においても格別な手柄を立てたことのないボロボロ伊右衞門こと山内一豊。

          豊臣秀吉に仕えるものの40歳にして初めて大名に取り立てられるほど、出世は遅々としており、取り柄といえば、謹厳実直そのもの。その一豊を支える千代の奮闘が小気味よく語られていく。

          しかし、物語を紡がせたら司馬遼太郎がやはり随一ではなかろうか。

          文庫本4冊の分量もあっという間に3冊読み終えた。それほどの面白さに溢れている。

          また、司馬作品には物語には直接関係のない余談も多いのが特徴の一つなのだが、それが良い味を出している。

          特に、秀吉の催した仮装園遊会であるとか千代紙の語源が妻の千代の名前に由来している、はたまた日本の女流服飾デザイナーの草分けであるなど、歴史好きにはたまらない薀蓄話も面白い。

          この作品を読んで初めて知ったこととしては秀吉の次の関白となり家督を短期間ではあるが譲られた殺生関白と異名をとる豊臣秀次の運命である。

          司馬遼太郎は精神的に問題のある人間として取り上げており、悪行非道のほどを記しているものの、現代の歴史家の中には真っ向から否定している人もおり諸説ある。しかし、確かなことは秀頼誕生前において秀吉の養嗣子となったことが彼の運命を大きく変えたことは間違いのことであろう。運命のいたずらというか残酷さを彼の人生から考えさせられてしまう。

          さて、山内一豊であるが宝島社が6年前に発刊した「完全決着 戦国武将ランキング100」において、彼は100位内に入っていない。命がけの戦国時代において、武辺に全くさえのない男が最終的には土佐藩22万石の領主に上り詰めたことは、やはり奇跡と言わざるを得ない。


          「壬生義士伝」言いようのない深い感動に包まれている・・・

          0

            JUGEMテーマ:読書

            前に、今年読んだ本のベスト候補として葉室麟の「秋霜」について述べたことがある。

            しかし、その「秋霜」を上回るどころか、軽く凌駕する作品に出会った。

            浅田次郎のベストセラー「壬生義士伝」(文藝春秋)である。

            百田尚樹の「永遠の0」はこの作品のオマージュであり、彼をして「昭和の壬生義士伝」を書きたかったと言わしめた作品である。

            新選組において異彩を放つ南部藩の吉村貫一郎の物語である。

            彼にゆかりのある人物を訪ね、彼の死後50年経った大正時代に、その生き様を語らせるという構成の軸は見事である。

            一人称の物語以上に重層的に人物像が浮かび上がり、物語に深みと厚みが増している。

            また、一つ一つの言葉や一文一文が心に響くというよりはむしろ刺さってくる感じがする本に久しぶりに出会えた。

             

            新選組3番隊組頭である斎藤一との確執の中で、最後に斎藤がつぶやく次の言葉が強く心に残った。

             

            人それぞれに、生まれついての宿命はあろう。いかんともしがたい苦悩を抱えてもおろう。将軍も足軽も、苦悩の糧は同じじゃ。じゃが、これほどおのれの宿命に屈せず、苦悩に抗い続ける侍が他にあろうか。神に挑み続ける人間が、他にあろうか。

            妻子を養うために主家を捨てる。しかし、恩と矜りとは決して忘れぬ。

            守銭奴と罵られ嘲られても、飢えた者に一握りの飯を施す、

            一見して矛盾だらけのようでありながら、奴はどう考えても、能う限りの完全な侍じゃつた。

             

            脱藩という武士としての汚名にまみれながら、飢えから愛する妻と子を守るために人を斬る貫一郎。

            そして「鬼貫」と恐れられ、斬るたびに褒賞金は増え、そのほとんどを国許に仕送り続けるその姿。

            全ては、妻と子供のため。

             

            わしはお前たちのためならば、いつ何時でも命を捨つることができたゆえ。さしたる覚悟もいらず、士道も大義もいらず、お前たちに死ねと言われれば、父は喜んで命ば捨つることができたゆえ。んだから、お前たちこそがわしの主君にちげえねえと思うた。

            女房に忠義を尽くすなど、人が聞いたら笑うじゃろう。じゃがわしは、心の底から感謝ばしておった。

            男が惚れた。惚れて、惚れて、この気持ちどうしたらよがんべえと思い続けるほど惚れ抜いておった。

             

            この小説は哀切極まる「愛の物語」とも言い換えることができる。

            久しぶりに言いようのない深い感動に包まれている。


            「ずっと晋作が描きたかった。」春風伝を読む。

            0

              JUGEMテーマ:読書

              本は堅実に読んでいるのだが、ブログに認めるのが億劫になっていた。

              最近、読んだ本の中で心に残ったのは葉室麟の「春風伝」(新潮社)である。

              歴史上の人物である高杉晋作を取り上げたこの作品の大きな軸になっているのは、太平天国の乱で揺れていた上海に渡っていた時の出来事である。

              高杉晋作といえば、司馬遼太郎の「世に棲む日日」が有名であり、私の愛読書でもある。

              高杉の疾風迅雷の生き方に感銘を受けた。

              しかし、司馬作品にはほとんど上海での出来事には触れられていない。

              そういう意味においても、新しい角度から高杉を捉えた作品であり、大変興味深いものがあった。

              太平天国の乱においては男だけでなく、女も子供も見事に戦った。

              晋作の師でもある吉田松陰の思念「草莽崛起」とも共通する姿を目の当たりにした晋作は深い感銘を受けるのである。

              「草莽崛起」とは「国に在るを市井の臣といい、野に在るを草莽の臣という。皆庶人なり」という孟子の書から取られている。つまり、地方の草深い地に住み、身分が低く、貧しい者の中から世を変えるものが出てくるということで在る。

              その上海の地で一人の女性に会う。周美玲である。

              命を懸けて、戦うその姿に晋作が後年まで大きな影響を受けた人物である。

              上海でのその出会いと別れまでに大きな紙幅を葉室麟は割いている。いかに、隣国中国における欧米列強およびその傀儡政権となった政府と対抗する草莽の臣としての名もなき人々の姿が高杉のその後の行動の大きな原動力になったかを伝えているのだ。

              「ずっと晋作が描きたかった。」と語っていた葉室麟のその強い思いが直接的に伝わってくる作品である。


              天の光

              0

                JUGEMテーマ:読書

                葉室麟の「天の光」(徳間書店)を読み終えた。

                心に深い感動が押し寄せている。

                仏師 清三郎がたどり着いた境地。

                 

                闇の夜を生きる人々が味わうのは嫉妬、欲望、我執の苦悩ばかりだ。それを照らし出し、ひとを導く光こそが仏であるだろう。仏の像を彫るとはすなわち、光を見出すことにほかならない。(形を彫るのではないのだ。光を導くのだ。)

                仏像を彫る材木は、木片に過ぎない。仏性が目に見えるものであるはずもなかった。彫り上げた仏像から放たれる光こそが仏性なのだ。

                 

                妻をただ救いたいと言う一念で仏を彫り続けるその懸命な姿に心打ち震える。

                最後の場面。仏を彫るために使っていた鑿一つで、妻を奪回するために敵であるで鬼岩に向き合う清三郎。

                「何があろうと、わたしにとっておゆきは昔と変わらない観音様だ。仏師であるわたしが命懸けで観音様を守る気持ちは、未来永劫変わらない。」

                「わたしはお前を救うためにこの島に来たのだ。」

                 

                物語の幕切れも実によい。この本に出会ってよかったと素直に感じることができる圧倒的な読後感である。

                 

                「おゆきの幸せこそ、自分が精魂込めて彫り上げた仏であった。」

                 


                葉室麟の凡作「あおなり道場始末」

                0

                  JUGEMテーマ:読書

                  炎上系の動画といった愉快ではない話題から転じて、本についてである。

                  最近はもっぱら葉室麟の小説を読んでいる。

                  昨日、一気に図書館で読み終えたのは「あおなり道場始末」(双葉社)である。

                  重厚な作風とはうってかわって、葉室麟としては異色なライト感覚の作品である。

                  剣術道場主の父親を殺された3兄弟が道場破りをしながら、日々の生活を凌ぎ、同時に仇を探すという筋立ててある。

                  葉室麟お馴染みの藩主の世継ぎという政争に絡めて、テンポよく物語は進んでいく。

                  謎解き風の面白さも味わえる。

                  しかし、最後に語られる父親の仇である人物の殺しの動機があまりにも薄っぺらであり、肩透かしを食うことになる。

                  そういう意味では今作は葉室麟の作品にあっては凡作と言わざるを得ない。

                  3兄弟の絆やコミカルな会話など新しい味もあったのであるが、物語の柱の部分が弱すぎるので致し方ないと思う。

                  ただ、好きな作家であることは確かである。


                  「秋霜」 人間にとって大切な心とは何か

                  0

                    JUGEMテーマ:読書

                    一里塚に過ぎないけれど、記念すべきブログ記事1500件目を迎えた。

                    その記事として葉室麟の「秋霜」(祥伝社文庫)について書けることを嬉しく思う。

                    葉室麟の作品の中でも、とりわけ好きなのが羽根藩シリーズと言われているものである。

                    直木賞を受賞した「蜩の記」からスタートした計5作の作品である。

                    その中でも第3作の「春雷」と4作「秋霜」は連作という趣が強い作品であり、ひときわ心に残る。

                    作家の安倍龍太郎が「秋霜」を評して「厳しい現実に垂らされた救いの糸のような物語」と語っているが、まさにその通りである。

                     

                    登場人物の重要な一人である千々岩臥雲が人間にとって大切な心について語る場面がある。

                    それは忍びざる心。例えば、幼児が井戸に落ちようとするのを見れば誰でも心配して助けたいと思う。

                    その心は言い換えれば惻隠の情であり、名誉や他者からの評価などとは無縁の人として自然なことなのだと説く。

                    しかし、一方で惻隠の情のない外道が世の中には存在するのも事実。

                    大切なことは、惻隠の情をもたぬ人間のことを責めたり、嘆いたりすることではなく、己の中に惻隠の情があるのかをただ問えば良いのだ。

                    この臥雲の言葉はズシリと胸に響く。

                     

                    終盤。生きる目的や幸せを感じたことのない孤独な小平太の心の中に芽生えた感情。

                    自らの生き方に満足を感じることは、実は容易なことなのかもしれない。ひとをいとおしみ、そのひとのためなら全てを擲っても悔いはないと思えるなら、それで十分なのだ。

                    いとおしんでくれる人がいるということが、この世で最も幸せなことなのではないだろうか。だからこそ、楓を何とか守り抜きたいと思った。(楓様には何としても生きていただく)

                    それこそが、自分がこの世に生を享けて果たさねばならぬ使命なのだ。

                     

                    そして、最後の怒涛の展開。クライマックス。

                    すこぶる心地よい圧倒的な読後感。

                     

                    まだ今年に入って5ヶ月ではあるが、今年読んだ本のベストとも言える作品である。

                    日本人としての矜持や人のことを想う気持ち。今の時代に忘れられた大切なものがこの本の中には全て詰まっている。

                    永遠の名作である。

                     

                     

                     


                    「散り椿」相手を想う一途さに心震えた・・・

                    0

                      JUGEMテーマ:読書

                      葉室麟の「散り椿」(角川書店)についてである。

                      この作品は昨年、岡田准一主演で映画化されているので、多くの方が知っている作品かもしれない。

                      ただ、主人公の瓜生新兵衛のイメージと岡田准一のイメージが違うので、このキャスティングを知り自分は正直違和感を覚えた。

                      また、映像は原作を超えないということを固く信じてるので、映画自体も予告編のみ知るだけである。

                       

                      一言で言えば、葉室麟の多くの作品に見られるお家騒動を背景にした、巨悪に立ち向かうというオーソドックスな筋立ててある。

                      そこに新兵衛とお篠を中心とする登場人物相互の心の機微の交差を描いている作品である。

                      愛する者の願いを聞き入れるために致仕した男 瓜生新兵衛が18年ぶりに故郷に戻るところから物語は始まる。

                      その願いとは、「散り椿」を見届けて欲しいということのみ。

                      その言葉に隠された篠の本当の思いとは。

                      久しぶりに、本を読んでいて感情が溢れ、涙を流してしまった。

                       

                      新兵衛と篠の相手を想うその一途さに心は打ち震えた。

                       

                      映画のキャッチコピーは確か「男は、愛する者のためにただ剣を振るう」である。

                       

                      私は篠の視点でキャッチコピーを自分なりに考えてみた。

                      「生きてくださいませ、あなたー」

                       

                      あなたが生き抜いてくださるなら、わたしの心もあなたとともにあるはずです。形に沿う影のように、いついつまでもあなたの傍に寄り添えることでしょう。

                      白、紅の花びらがゆっくりと散っていく。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむが如き散り樣だった。

                      (わたしも、あの椿のように・・・)


                      calendar
                          123
                      45678910
                      11121314151617
                      18192021222324
                      25262728293031
                      << August 2019 >>
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      links
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM