スポットライト(BOOK SIDE STORY2018)

本や音楽を思いのままに紹介する。
それでも言葉にこだわり、思いを伝えたい・・・
そして思いの中に魂を込める。
虚飾を排し、嘘を捨て去る。

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2019.01.13 Sunday

周五郎節炸裂 傑作短編集「おさん」

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    2019年の読み初めは山本周五郎の短編集「おさん」(新潮文庫)である。

    一言で言おう。

    周五郎を代表する短編集の「傑作」であると。

    特に、表題作の「おさん」は男から男へと渡らずにはいられない性癖ゆえに、好きになった男を次から次へと不幸に落としてしまう女性を見事に描いている。結末は悲惨なのであるが、そこは周五郎。僅かは光が差し込む締めくくりである。

    「ー人間生きているうちは、終わりということはないんだな。」

    主人公の参太のこの言葉が深い余韻を与える。

     

    「岡場所」ものの「夜の辛夷」も実にいい味を醸し出している。

    周五郎は鼠小僧のような義賊を英雄扱いすることを嫌った作家である。

    盗みは盗みであり、その盗みによって不幸な運命に晒された人々の姿に目を向け、どんな理由があるにせよその行為を正当化することをしなかった。

    この物語にも、その周五郎の思いは滲み出ている。

    父が不幸な縊死を遂げ、その後を追うように狂死した母親の姿を見て、この世の冷たさを呪い盗賊に身を染めた元吉。

    苦しい境涯に身を落とし、年齢をごまかしながら子どものために必死で働きながら、兇状持ちの密告という形で礼金を得ているお滝。

    二人の人生が交錯するという物語の設定の巧みさ。そして、周五郎節炸裂とも言える結末。

     

    年の初めにこういう素晴らしい小説を堪能することができたことは幸せなことである。

     

     

     

     

     


    2018.12.27 Thursday

    山本周五郎の流儀

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      今日はほぼ昼間、図書館にいて、貪るように山本周五郎の短編集「つゆのひぬま」(新潮文庫)を読んでいた。

      併せて「周五郎流ー激情が人を変える」(NHK生活人新書)も読んだ。

      山本周五郎は悦びよりも哀しみ、苦しみの中にこそ「人間」がいるという信念をもち、負の感情に突き動かされながら「人間」が何をどうしようとしたのかこそが問われるべきであるというスタイルを貫いた。

      彼自身こう語っている。

      「文学の場合は、慶長5年の何月何日に、大阪城でどういうことがあったのか、ということではなくて、その時に道修町のある商家の丁稚が、どういう悲しい思いをしたかであって、その悲しい思いの中から、彼がどういうことを、しようとしたかということを探究するのが文学の仕事だと私は思います。」

      またこうも語っている。

      「人間の人間らしさ、人間同士の共感といったものを、満足や喜びの中よりも、貧困や病苦や失意や絶望のなかに、より強く私は感じることができる。」

      周五郎の作品に私が強く惹かれるのは、この言葉に象徴される人間の苦しみの中から這い上がろうともがくその姿に、自分の思いとがオーバーラップする瞬間があるからであろう。

      今日の短編集でもそうであった。

      「凍てのあと」の栄二にしても「つゆのひぬま」のおひろにしても、人間不信に陥りながらも、ひとかけらの人の情けや思いから希望を見出そうとする姿に心打たれるのである。

      物語の最後、「嘘をついたままでは死にたくない。」と語るおひろのこの言葉。

      どんな立場や境涯であろうとも、人間はその心の内に善なるものをもっているということを書き続けた周五郎の「らしさ」が見事に表れている場面である。やはり、作家の中で一番好きなのは、山本周五郎である。


      2018.12.16 Sunday

      司馬遼太郎の短編集を味わう

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        何か本が読みたくなると、司馬遼太郎か山本周五郎の作品を手に取り、読むことにしている。

        この二人の日本文学史上の巨人が残した作品は膨大な量に上り、まだまだ未読の作品は多い。

        最近読んだのが司馬遼太郎の短編「馬上少年過ぐ」と「軍師二人」である。

        「馬上少年過ぐ」の表題作は伊達政宗の生涯に触れた作品であったが、それ以上にこの短編集の中で心惹きつけられたのは無名とも言える野伏上がりの小大名 脇坂安治である。

        戦国期、豊臣秀吉の命を受け、単身近江の赤江悪右衛門を訪ね、降伏を勧告する場面。

        内通を疑われ、汚名返上とばかりに僅か数十騎を引き連れて伊賀上野城に馳せ参じ、見事に城を奪い取る場面。

        愚直なまでの真面目さだけが取柄の安治の姿は、滑稽なまでのひたむきさとして読者に訴えかけてくるものがある。

        しかも、それらの武功が「貂の皮」の霊験であるという筋立ても面白かった。

        また、「軍師二人」では「侍大将の胸毛」に登場する藤堂高虎に仕えた渡辺勘兵衛の大阪冬の陣での天晴れな武者ぶりに心踊った。

        「戦は勝てば良いのじゃ。敵がそこにおるのに、後方の御本陣の顔色を見て遅疑する馬鹿がどこにある。」

        これが主人に向かっての言葉なのだから、豪傑そのものだ。しかし、敵方の井伊直孝をして「あっぱれ大剛の士」とまで言わしめた勘兵衛も主人である高虎からはついぞその功を認めてはもらえなかった。

        大阪の陣での藤堂家の功績の多くは勘兵衛の働きによるものが大きかったが、勘兵衛は禄を返上し退転した。

        最後まで剛毅を貫いた武士であった。

        司馬遼太郎の長編では味わうことのできない無名の武士たちの生き様に引き込まれるのである。

        また、この短編では家康の女性観なども描かれており、性的な艶っぽい描写も多く出てくる。

        山本周五郎との決定的な違いを見た思いがした。

         


        2018.12.08 Saturday

        明治の中学地理の教科書 九州の輪郭は?

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          おもしろい本を見つけた。「100年前のビックリ教科書」(じっぴコンパクト新書)である。

          明治の初めから太平洋戦争当時の教科書36冊を選び、図解付きで紹介している。

          何と言っても「おもしろい」と感じるのは明治期の教科書である。

          開国を果たし、西洋になんとか追いつきたいという思いが「学制」や「教育令制定」につながり、その必然として教科書が編まれていくわけであるが、子どもに知識を身につけさせたいという思いが工夫を通り越して何やら滑稽さを帯びたものになっているなど読んでいて飽きない内容となっている。

          特に、明治35年=1902年に発行された中学地理教科書 日本之部の内容、「邦土の輪郭」はまるでクイズである。

          本州は龍の如く、四国は蝙蝠の如く、北海道は鳥の翼の如くまではまあ許せる。

          ところが九州の例えのところで笑ってしまった。

          今の子供達にこの問題を出してこの比喩を言い当てられる者はいないであろう。大人でも無理だと思う。

          答えは「九州は猿が舞うが如し」である。どう見立てたら猿になるのだろうか。編纂した人に尋ねてみたい。

          しかも、邦土の中に台湾が含まれていることも驚きである。

          ちなみに台湾は桜の葉の如しである。

          また、新潟県と和歌山県だけが地方の中に含まれず単独で扱われているなど謎がいっぱいである。

          教科書は時代を映す鏡だと筆者が言っているが、今後どのように変わっていくのか楽しみでもある。

          タブレットの中にデジタル教科書として全教科収められているなんていう時代が来るのではないだろうか。

           


          2018.12.04 Tuesday

          白石城死守

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            JUGEMテーマ:読書

            講談社の山本周五郎コレクション「白石城死守」を読み終えた。

            編集後記にも書いてあるが、これは昭和45年に「菊屋敷」というタイトルで講談社から刊行された短編集を再編集したものだ。

            山本周五郎の作品の大半が現在、新潮文庫から発売されているが、「菊屋敷」という短編集はない。

            作品のいくつかは他の短編集に含まれている。

            タイトルにもなっている「菊屋敷」は雑誌掲載ではなく、周五郎の唯一の書き下ろしの中編小説である。

            ここに収められている作品を書いていたのは昭和15年〜19年であった。この頃の周五郎は、直木賞を受賞した「日本婦道記」シリーズなどを著していた時期であり、充実期でもあった。

            なるほど、収められている作品はみな読み応えがある。

            周五郎節とも言える魅力が満載である。

            個人的には表題作での主人公である志保の芯の強さと同時に奥ゆかしさに惹かれるものがある。

            また「豪傑ばやり」の馬頭鹿毛之介の飄々かつ凛とした姿にも清々しさを感じる。

            無名の人物の自分の分をわきまえた一途な姿を描く周五郎の筆致は冴え渡っている。


            2018.11.27 Tuesday

            戦国物語 信長と家康

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              今年も残すところあと一か月あまりとなった。

              1月からの読書を振り返ってみると圧倒的に歴史時代小説が多い。

              一方で、大好きなジャンルであった海外のミステリーを一冊も読んでいないことに気が付いた。

              その原因は一番はやはり心境の変化であろう。

              殺伐とした事件そのものを取り上げるミステリーに気持ちが傾かない。それよりも、武士道や正義、または人情といった現代社会の中で失われてしまったかつて日本人のもっていた美徳ともいえる資質を希求している自分がいる。これも年齢を重ねた由縁であろうか。

              そして、司馬遼太郎や葉室麟という作家のもつ物語を紡いでいく筆力によるところが大きい。

              しかし、何といっても今年一番読んだのは山本周五郎である。長編、短編あわせて30冊以上を読んだ。

              今日も講談社が編んだ戦国物語「信長と家康」を読了した。

              周五郎の魅力は決して歴史上の有名な人物を取り上げることなく、名もなき者の純粋ともいえる生き様を描き切るところにある。

              この戦国物語にしても、信長、家康にまつわる人々を取り上げたものであり、それぞれ4作品が編まれている。

              「死處」でも触れたが、講談社のこのアンソロジーは素晴らしい企画であると思う。編集者にあっぱれ!と言いたい。

              全部で8作品の中には既読の物も含まれていたが。改めてひとつのまとまりとして読んだとき、信長や家康の人物像がくっきりと浮かび上がってくる思いがした。

              信長編では「あらくれ武道」、家康編では「平八郎聞書」が個人的には気に入っている。

              どちらの作品もし、武士の気概とは何かが直截伝わってくる佳品である。


              2018.11.25 Sunday

              じっぴコンパクト新書

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                空前の新書ブームと聞く。

                一昔前は新書といえば、岩波、中公・講談社が御三家と言われていた。

                今や、それぞれの出版社が新書を刊行し、表紙をパッと見ただけではどれがどこの出版社か分からない状態になっている。

                そんな中で、自分が気に入っているのが実業之日本社の「じっぴコンパクト新書」である。

                いつも文机の傍らに置いて時々何気なく見る時間が好きだ。

                まずその魅力は装丁である。カラフルでポップな色遣いがとてもいい。

                先日、レコードのジャケ買いについて少し触れたが、本も同様である。綺麗で見た目が良いほうがいいに決まっている。

                今日はそのシリーズの一冊である「英語おもしろノート」を読んでいた。

                決して学校では習わない英語の言葉の起源や独特の用法についてのライトな蘊蓄本である。

                たとえばbreakfast。意味は朝食であるが何をbreak(破る)のかまで知っている人は案外少ないのではないだろうか。

                実はfastは断食という意味である。

                つまり夕食から翌朝までの間、断食状態にあると考え、それを破る初めての食事が「朝食」という意味である。

                知るとなるほどと思わずつぶやいてしまうような話題が満載で飽きることはない。

                たまにはこういう本もいい。読書の愉しみのひとつである。


                2018.11.21 Wednesday

                司馬遼太郎と明治 標的にされた会津

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                  幕末から明治維新にかけての歴史の大きな移り変わりの中で描かれた物語が好きである。

                  その影響は司馬遼太郎の著作によるところが大きい。

                  先日、書店で思わず立ち読みをし興味をそそられた本がある。

                  「司馬遼太郎と明治」(朝日新聞出版である。

                  司馬遼太郎が様々な人物を通じて、「明治」について思う存分に語っている。

                  特に、印象深かったのは「標的となった会津」である。

                  会津といえば松平容保。司馬遼太郎は「王城の護衛者」という作品で戊辰戦争を敗者の立場から見事に描いてみせた。

                  その執筆に感激したのはその当時の会津松平家の当主 松平定保氏である。

                  「祖父容保の立場と心事を維新後初めて公平に書いて下さったという過褒であり・・・」と司馬遼太郎あてに電話をしたという記録が残っている。

                   

                  司馬遼太郎は会津との関係性を大切にした。何度も訪れ、講演会を開いた。その中で次のように語っている。

                  「会津は心ならずも明治維新に倫理的に抵抗した土地であり、その情念が精神の土壌になっている。」

                   

                  会津藩の藩祖保科正之が定めた15か条の家訓。

                  「わが子孫たるものは将軍に対して一途に忠勤を励め。他の大名の例をもってわが家を考えてはならない。」

                  この決まりが幕末の容保の大きな枷となった。

                  つまり、会津藩は幕末において我が国で唯一といえるほど「倫理」「忠義」というものを通した藩であったといえる。

                  「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉が生まれるのだが、司馬遼太郎は戦いに敗れた会津藩の示した忠節さというものに光をあてる先駆者となった。

                  そして、「太平洋戦争の敗戦ですら、戊辰戦争の敗戦の深刻さに及ばないというほどの土地の怨みは歴史の中の過去として忘れてしまっている我々の無邪気さをはげしく叱咤する」と語るのである。

                  薩長土肥にとっては明治維新150年は祝賀行事だが、長岡、会津にとっては戊辰150年の悲しみに溢れた行事と語る会津藩校日新館館長の宗像精さんの言葉が印象深く胸に響く。


                  2018.11.19 Monday

                  藩で一番の臆病者が刺客となった!

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                    「藩で一番の臆病者と言われる男が刺客となった!」

                    文庫本の帯についているこのキャッチコピーにひかれて読み始めた一冊の本。

                    葉室麟の「川あかり」(双葉文庫)である。

                    最近、立て続けに葉室麟の作品を読んでいるのだが、この作品はその中にあって最もエンターテインメント性に溢れる作品である。

                    長雨にたたられて川止めにあう伊藤七十郎。

                    藩の中にあつて一番の臆病者と自他ともに認める武士。

                    しかし、偶然、木賃宿に居合わせた人々との交流を通して、武士にとって、いや人間にとって一番大切なものは何かを見出していく。

                    そして、川明けの日。

                    討つべき国家老 甘利典膳との対決やいかに。

                    これだけでも十分に映画的なストーリー展開なのだが、脇を固める人物たちの存在感がこの小説を格段に引き立てている。

                    牢人 豪右衛門、托鉢僧 徳元、猿廻し 弥之助、遊び人の千吉、そして門付けの鳥追い お若。

                    この5人だけでなく、登場人物ひとりひとりの造型がしっかり描かれているので、物語に深い陰影を与えている。

                    「春雷」もそうであったが、こういうところが葉室麟の筆力である。またある意味、タイムリミット型の映画と同じで、じわじわと緊張感が増していく展開に一喜一憂することになる。

                     

                    「お祖父ちゃんがよく言うのです。日が落ちてあたりが暗くなっても。川面だけが白く輝いているのを見ると、元気になれる。

                     何にもいいことがなくっても、ひとの心には光が残っていると思えるからって」

                     

                    闇に淡く輝く「川あかり」は人の心にともる希望である。

                    七十郎にとっての「川あかり」とは何であったのか。それが読み終えた後、心の中にすうっとしみ込んでいくのである。

                    私にとって、今年読んだ本の中で忘れられない傑作のひとつである。

                     

                     


                    2018.11.14 Wednesday

                    春雷

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                      JUGEMテーマ:読書

                       

                      葉室麟の人気シリーズ羽根藩ものの第3弾「春雷」(祥伝社)を読み終えた。

                      羽根藩家臣 多聞隼人が何故に「鬼隼人」になったのか。

                      その真相が明らかになるクライマックスはまるで映画か舞台を見ているかの如くの圧倒的な臨場感を伴って胸に迫るものがある。

                       

                      鬼となることで明らかにしたかったことは何か。

                      主君である殿様に「正義」とは何かをつきつける隼人の姿には心打たれた。

                       

                      また、この小説を魅力あるものにしているのは、大庄屋の「人食い七右衛門」こと佐野七右衛門、獄に囚われていた学者「大蛇」こと千々岩臥雲など、隼人の脇を固める人物の存在である。

                      一癖も二癖もありながらも人間味豊かに描かれており、物語に深みという味を与えている。

                      個人的には「潮鳴り」以上の読み応えのある一気読み確実の作品である。

                       

                       


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