JUGEMテーマ:日記・一般
<ことしも生きて/さくらを見ています/ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい/三十回 四十回のひともざら/なんという少なさだろう>▼二〇〇六年に亡くなった茨木のり子さんの詩「さくら」を読むたびに、誰にも平等に訪れる死のことを想(おも)う。満開の桜をあと何度見られるだろうか。若いころには考えもしなかった自問を繰り返す▼<もっともっと多く見るような気がするのは/祖先の視覚も/まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)だつせいでしょう/あでやかとも妖しとも不気味とも/捉えかねる花のいろ/さくらふぶきの下を ふららと歩けば/一瞬/名僧のごとくにわかるのです/死こそ常態/生はいとしき蜃気楼(しんきろう)と>▼二十五年間連れ添った夫の三浦安信さんを亡くしてから、一人暮らしを通した茨木さんが六十代半ばに書かれた詩らしい。「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼」は最愛の人を思い続け、たどりついた死生観なのだろうか▼茨木さんが最後に見た桜は亡くなる前年の春だった。山梨・塩山の山里の一帯に見事な枝垂(しだ)れ桜が咲き乱れていたという(後藤正治著『清冽(せいれつ)』)▼東京ではきのう、観測史上で最も早くソメイヨシノが開花し、各地から平年より早い開花情報が届く。寒さが厳しかった分、怒濤(どとう)のように春は押し寄せる。今日の「筆洗」である。
茨木のり子さんは好きな詩人のひとりである。
生はいとしき蜃気楼。
胸に響く。
2年前の東日本大震災の日、私は体調を崩し、休職していた。
突発性難聴である。
不安の中で、激しい揺れを体感した。
家には私一人しかいなかった。
世界が終るのだなと直感的に思った。
現実、津波にのみこまれ、断ち切られた人生や世界がある。
私は幸運にして生きている。そう思うと、生きていることは実に儚いことである。
儚いからこそ、人と人との出逢いを大切にしなければならないのだと最近強く思う。
よかったと思える出逢いばかりではないのが生きていく上での辛さではあるが・・・
今春。大好きなひとと桜の花をじっくりながめたい。