3MA アフリカ弦楽器トリオの演奏に酔う

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    JUGEMテーマ:音楽

    作家の村上龍もエッセイで、今やロックもポップスも瀕死の状態であり、かつてのような大きなムーブメントを起こすような創造的な音楽は誕生しないだろうと語っていたことがある。

    私もそう思う。

    流行り、廃りを無限ループのように繰り返しているかのような音楽界。

    いつか聞いたような曲がまた何年後かにちょっと装いを新たにして生まれ変わる。そして、すぐに飽きられて消えていく。

    だから、結局「クラシック音楽」にすがるしかない状態なのだ。

    ところが、先ほど何気なくFM TOKYOのバラカンビートを聴いていて、久しぶりに背筋がぞくっとする感覚に襲われた。

    流されていた曲は、「Anarouz」である。

    アフリカの弦楽器トリオ 3MAの演奏である。

    西アフリカのマリのコラ奏者、バラケ・シソコ。北アフリカのモロッコのウド奏者、ドリス・エル・マルミ。マダガスカルのバリハ奏者、ラジェリ。各々の国を代表する一流の演奏者である。楽器名を聞いても一体どんな楽器なのか分からないのであるが、その奏でる音は、まるで大地に滲み透る慈雨のごとく透明感に溢れたものである。

    歌詞も日本語対訳がないので、意味は分からないのであるが、心を捉えて離さない不思議な力を持っている。

    アフリカンミュージックを聴くのは自分自身初めての体験であるが、心を鷲掴みにされた感覚である。

    とにかくその演奏力の高さに驚かされると共に、心のより深い部分に直接的に響いてくるかのような弦の響き。

    心は酔わされている。


    ベートーヴェンが見据えていた音楽とは・・・

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      JUGEMテーマ:音楽

      何かとツイッターでは物議を醸す発言の多い百田尚樹であるが、彼のクラシック音楽への傾倒を著したエッセイをよく読んでいる。

      特にベートーヴェンへの畏敬の念という点では同感することが多い。

      ベートーヴェンが遺した音楽。とりわけ交響曲9曲、ピアノ協奏曲5曲、ピアノソナタ32曲は永遠の不滅である。

      「クラシック 天才たちの到達点」(PHP)では、こう記されている。

      「ピアニスト時代のベートーヴェンは即興表現の天才であった。ピアニスト対決ではその場で与えられた主題を即興で自在に展開して、広大な世界を表現していくことに長けていた。

      ところがピアノソナタを作曲するときには、即興表現を楽譜にすることはなかった。これはなぜか。彼は即興で聴く音楽と、繰り返し聴く音楽は違うものという考えを持っていたからだ。何度も何度も彫琢を重ね、完全に納得いく形でしか楽譜にしなかった。全ては百年後、二百年後の厳しい聴衆の耳を意識してのことであった。」

       

      最近、久しぶりにピアノソナタを聴いている。自分自身どちらかと言えば、初期から中期にかけての曲が好きである。

      「悲愴」や「月光」である。

      しかし、後期の大傑作と言われる29番「ハンマークラヴィーア」を聴いてその素晴らしさに心打たれている。

      この曲は40分以上の大作であり、彼が作ったピアノソナタの中でも最も難しい曲としても有名である。

      その当時のピアニストは満足に弾きこなすことができなかった。

      しかし、彼はこう言い放った。「五十年もすれば弾けるようになるだろう。」

       

      交響曲の7番にしても初演の際には「酔っ払って書いた駄曲」として嘲笑されることが多かった。

      しかし、リストやワーグナーはその素晴らしさを見抜き「舞踏の神化(聖化)」と讃えたのは有名な話である。

      つまり、彼は目の前の聴衆に媚びる音楽を作るようなことはしなかったのである。媚びる音楽は飽きられることを知っていた。

      見据えていたのは百年、二百年後にも生き残る本物の芸術としての音楽である。

       

      彼が死んで後数年で二百年を迎えようとしている。

      まさしく彼が望んでいた通り、彼の創造した音楽は輝きを持って生き続け、感動をもたらし続けている。

      それは奇跡である。


      ストーンズが聴きたくなった・・・

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        無性にストーンズが聴きたくなって、1980年発表のアルバム「エモーショナル・レスキュー」を聴いている。

        75歳になったミック・ジャガーの心臓弁膜の手術のためにツアーが延期になっている状態であるが、先日、ベスト盤「HONK」が発表された。

        一体、何枚目のベスト盤だと言われているが、ジャケットからしていかにもストーンズらしさ満載で、しかも10曲のライブ音源がついているのは魅力である。

        さて、「エモーショナル・レスキュー」であるが、英米ともに一位に輝いたのであるが、世評は高いとは言い難い。

        発表当時は75曲の中から厳選した10曲という触れ込みであったが、実際はその事実はなく、手応えを感じられる作品がなかなか生み出せなかった時期という見方もある。

        タイトル曲を初めて聴いたときは、ミックのファルセットボイスに度肝を抜かれ、ロックンロールはどこへ行ったのだと思ったのだが、聞けば聞くほど不思議な魅力が感じられる作品であることが分かってくる。

        当時は「実験的」と言われたサウンドだが、こういうことに大胆に挑む精神がストーンズの真骨頂ではないのか。

        つくづくそう思う。

        確かに極め付きの一曲はないかもしれないが、大好きなアルバムであり、40年経った今聞いても古さは感じない。

         

        俺は泣いている お前のせいで

        わかるだろう 約束は破られるためにある

        眠りの中に呑み込まれていく夜みたいに

         

        お前の忠実な救済者になろう

        お前の心を救うために

        お前の心を救い出すために


        爆走するカラヤン 麻薬的な演奏に酔う 

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          今年に入って聴きまくっていたジャズを離れ、ひたすらにクラシックを聴いている。

          と言ってもベートーヴェンの交響曲のみであり、中でも7番ばかりである。

          昔、このブログで紹介した時は確か、ブロムシュテット指揮によるものだつたと記憶している。

          今は色々な指揮者のものを聴き比べているが、圧巻なのはカラヤンとベルリンフィルの黄金のコンビによる演奏である。

          正直、私はカラヤンについてドヴォルザークの交響曲の演奏においては素晴らしいものがあると感じていたが、ベートーヴェンについてはあまり高く評価していなかった。

          政治的な手腕に長けた指揮者という印象が強すぎたためにやや距離を置いていたところもある。

          しかし、今回改めてこの「舞踏の神化」とも言われたこの交響曲を聴いてみて、カラヤンの指揮による演奏の凄まじい熱量およびスピード感にただただ圧倒されるばかりである。

          平均的なこの交響曲の演奏時間は40分弱であるが、カラヤンはなんと33分くらいで疾走する。

          もともと、ベートーヴェンの速度指示が速い傾向にあるのは事実で、その通りに演奏すると不可能と言うものまである。

          特にこの交響曲の白眉とも言われる第4楽章の展開は何だろう!

          爆走するカラヤンの指揮に、一糸乱れぬ演奏を披露するベルリンフィルの凄まじい技量に惚れ惚れする。

          同じ音型で同じリズムが繰り返されることで、聴いていて陶酔してしまうと言う麻薬的な魅力を持っているのである。

          その他では、ベルリンフィルをしのぐとも当時言われたシカゴ交響楽団、指揮は勿論ゲオルグ・ショルティの演奏も素晴らしい。


          低俗な粗製濫造作詞家およびロリコンプロデューサー 秋元康についての私見

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            JUGEMテーマ:日記・一般

            JUGEMテーマ:音楽

            昨日の続編である。

            秋元康についてである。個人的に嫌悪する芸能関係者の一人である。

            彼の職業は低俗な作品しか生み出せない粗製濫造の作詞家である。

            彼の名誉のためにフォローするとしたら長渕剛の「GOOD BYE 青春」と美空ひばりの「川の流れのように」の2曲のみが価値ある仕事だったと思う。

            いくら彼が書いた作品がオリコンチャートの1位になろうと、カラオケで最多数歌われようと、そんなデータは彼が日本の文化に果たしたこととは全く関係がない。逆に言えば、音楽という文化を停滞・凋落させる大きな旗振り役を務めてきたのである。

            かつては「戦友」と語っていた長渕剛も、AKB48以降の我が国の音楽の停滞に危機感を持ち、その原因を作った秋元康を批判している。

            そもそも、AKB総選挙の仕組みにしてもCDに投票券が付いているので、たくさんの金持ちオタクが自分が推す女性のために大量購入することになる。そこには不法に買い付け売り捌く上客と言われる不逞の輩が誕生することになる。それが順位に反映されるという、なんとも馬鹿馬鹿しくも愚かしい争いが繰り広げられる。今回の新潟での事件はこの上客とメンバーの癒着が生み出した最悪な事例である。

            歌唱力も、ダンスパフォーマンスも、トーク力も一切関係ない。

            全く無意味な順位づけ、差別化である。昨日も述べたが、ここに AKSの腐った本質があるのだ。

            そして、そのまま日本レコード大賞に直結するのであるから、全くもって我が国の文化的民度は墜ちるところまで墜ちたと言わざるを得ない。

            この我が国の文化を堕落させ、集金主義の権化が秋元康なのである。

            60歳過ぎてなおアイドルプロデュースで生計を立てていること自体が気持ちが悪い。

            定型的なロリコンオヤジではないか。普通はそう考えられても仕方ないだろう。

            生きがいは「お金」なのだろう。しかし、還暦を過ぎ、己の人生を振り返って恥ずかしくないのだろうか。

            おそらく山本周五郎も司馬遼太郎も読んでこなかった人なのだろうなと思う。余計な話だが、同じ世代の人間として情けなくなる。

            人間としての矜持はないのかと問いたい!

             

            最後に第一回チャイコフスキー国際ピアノコンテストで、アメリカのクライバーンが優勝した時のエピソードを紹介する。

            ソ連の権威ある賞たらんとする第一回目の優勝者にアメリカ人を選んで良いのかと時の首相であるフルシチョフに側近が相談したのである。

            その際に審査員の一人を務めていたのは、あの歴史的ピアニスト スヴェトラノフ リヒテルである。  はこう答えた。

            「私の心に響く演奏をしたのはクライバーンただ一人。だから彼には満点の25点をつけた。響かない者に点をつける意味はない。」なんと彼は大多数の参加者、勿論ソ連からの参加者は多かったのだが、15名に0点をつけたのである。

            リヒテルの評価こそ正当な評価であり、順位をつける時のシンプルにして、正鵠を射た評価というものであろう。

            大抵のAKBの歌やパフオーマンスなど0点である。だから、醜い争いや事件が起きるのだ。

            秋元康はリヒテルもゼルキンも聴いたことがないのだろうな。心を打つ演奏とはないか知らないものが音楽産業に携わるなと言いたい。


            ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ

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              毎日、同じことを書くようで恐縮だが、今日も読書およびクラシック音楽三昧の1日であった。

              先月の中旬からの「アレルギー性鼻炎」に苦しめられ、体調がベストではないというのが外出を控えている大きな理由であるが、家で静かに過ごすことがこんなにも贅沢なことなのかと素直に感じている。

              クラシックは昨日紹介したゼルキンの全集からのものであり、今日はずっとブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を聴いていた。

              変奏曲の大家と言われたブラームスの音楽的な内容の頂点を極めたとも言われる傑作である。

              変奏曲といえば、バッハの「ゴルトベルク」ベートーヴェンの「ディアベリ」がすぐに思い出されるが、それと並び称されるにふさわしい名曲である。

              ブラームスを得意としたゼルキンの力が存分に発揮された演奏であり、ため息が溢れる。

              相容れぬ仲であったワーグナーですら絶賛したというエピソードが残っている。

              1日中、繰り返して聴いてるが飽きないのがやはりクラシック音楽の持つ普遍的な底力であろう。

              今夜はベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」を聴こう。


              ルドルフ・ゼルキン CD75枚組BOXセット 至福の音楽体験

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                JUGEMテーマ:音楽

                原点回帰。クラシック音楽ばかりを聞いて過ごしている。

                それもピアノ曲を中心に。

                リヒテル、バックハウスと聞いて、やはり最終的に落ち着くところはルドルフ・ゼルキンである。

                ゼルキンの決定的とも言えるBOXセットを購入した。

                なんとCDにして75枚入りである。一生の宝物になる作品集である。

                今日もその中からベートーヴェンの作品を演奏をしたものを聴いていた。

                ゼルキンについては以前も村上春樹の著書「意味がなければスイングはない」(文藝春秋)での「ゼルキンとルービンシュタイン」の章の中でもストイックな言葉を紹介したことがある。

                とにかく練習に練習を重ねる完璧主義者であった。

                もしひとつの作品を演奏するために、簡単なルートと困難なルートがあったとしたら、たとえ聴き手にその違いが分からなかったとしても、彼は間違いなく困難なルートの方を選ぶ。まるで苦行僧のような姿こそルドルフ・ゼルキンの音楽なのだ。

                ゼルキンの演奏はスタジオ録音のそれよりもライブだとほとんどの評論家が口を揃えて言う。

                「ミスタッチは多い。しかし、とにかくぐっと心に届くんだよ。音楽が。」

                言い得て妙である。

                私が体調を崩し、クラシック音楽という未聴の扉を開くときに招いたのはリヒテルのピアノであったが、心を奪われたのはニューヨークフィル管弦楽団の演奏、指揮はあのバーンスタイン。曲はゼルキンの演奏するベートーヴェンのピアノ協奏曲3番と5番のカップリングであった。ジャケットもゼルキンとベートーヴェンの顔がかぶさるというとても印象的なものであり、鮮烈に心に刻まれた。

                このCDとの出会いがなければ、クラシックは一生自分とは縁遠いものであり、自分の精神に大きな影響を与える存在にはなり得なかったであろう。

                いわば、運命としてあの時に紛れもなく聴かなければならなかった音楽だったのだと思う。

                そんなことを噛み締めながら、一日中、ゼルキンのピアノを聴いている。

                ピアノの一音一音が心に響くのだ。全く飽きるということのない至福の音楽体験である。


                amazonレビューを読んで 音質が音楽の本質ではない!

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                  JUGEMテーマ:音楽

                  しばしばamazonのレビューについては問題点があると指摘されるところであるが、先ほど自分がこのブログで紹介したバックハウスのベートーヴェン集のレビューを見ていたら、頭をひねるような内容があった。

                  一言で言えば、「酷い代物。海賊版か!?」というものである。

                  どこをどういう風に聞けばそうなるのか全く理解不能である。

                  確かにインポートの廉価版であるし、解説書などは入っていない。

                  しかし、自分の耳で聴けば海賊版か否かはすぐに分かるはずであろう。

                  バックハウス自体、1950年代と言えども既に60歳を超えていたわけで、その当時の録音状態が優れているとは言い難い。

                  しかし、十分にバックハウスの素晴らしさは伝わってくる。

                  そんなことを言えば、リヒテルの幻のライブと言われるアメリカでの1960年のカーネギーホールでの録音状態の方が幾分音がこもっている感じである。だからと言ってリヒテルの魅力が損なわれることは決してない。

                  そういうレビューを書く人間は、音楽を楽しむのではなく、ひたすらにオーディオ機器により音質を追求する「音」マニアではなかろうか。クラシックファンには結構こういうくだらない人間がいると聞く。

                  宮澤賢治が感動したベートーヴェンの音源(交響曲5番、6番)を私は持っているが、音質は最低だ。

                  しかし、そんなことを凌駕するに値する音楽の力が漲っている。

                  耳に心地よい音質であることが音楽を楽しむ最優先条件ではないはずだ。

                  そういう人間は、現代のピアニストが弾くスタジオ録音のクラシックだけに耳を傾けていればいいのだ。

                  そういう人たちは決して音楽の感動に触れることのできない可哀想な人間だと思う。

                   

                   


                  WILHELM BACKHAUS PLAYS BEETHOVEN

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                    JUGEMテーマ:音楽

                    先日はリヒテルのピアノの凄味について書いたが、今日はバックハウスである。

                    タワーレコードに行って輸入盤のBOXセットを購入した。

                    「WILHELM BACKHAUS PLAYS BEETHOVEN」である。

                    ピアノの魔術師と言われたフランツ・リストの直系の孫弟子であり、圧倒的なテクニックから「鍵盤の獅子王」と異名をとったバックハウスであるが、例えばベートーヴェンのピアノソナタに関しても、技術的にはすごいが愛想がなさすぎるだの、素っ気なさすぎるなどという評価が下されることも多い。

                    今、そのピアノソナタ集を聴いているのであるが、確かに23番の「熱情」にしてもリヒテルのカーネギーホールでの演奏に比べると鬼気迫るものは感じないというのは事実である。正直淡白ですらある。

                    しかし、私は好きだ。

                    聴いていて、余計なものが一切混じらない演奏であるからである。聴き手のその時の体調によれば時としてリヒテルの演奏は聴いていてしんどいと思う時もあるのだが、バックハウスの演奏にはそういうものはない。

                    味気がないというのではなく、純粋なピアノの音色だけが心に届き、浄化されるのである。

                    それは毎日バッハを練習曲として弾き続けたバックハウスの絶対的な技術のなせる技であろう。

                    それをつまらないという人もいるのだろうが、私は決してそうは思わない。

                    また、あまり全集録音以外では取り上げられないピアノソナタ25番(ソナチネ)などの小品も聴くことができるのも、嬉しい。

                    録音はリヒテルのアメリカ公演よりも古く、上質とは言い難いが素晴らしい演奏に変わりはない。

                    連休中はバックハウスやゼルキンといった名ピアニストの演奏にじっくり耳を傾けて過ごそうと思う。


                    リヒテルのブラームス ピアノ協奏曲第2番

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                      JUGEMテーマ:音楽

                      村上春樹のエッセイを読んでいたら、人間を覚醒させるほどの力を持った音楽として東京でリヒテルが演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番が挙げられていた。

                      百田尚樹もその著書の中で、リヒテルは数多の著名なピアニストの中でも別格な存在という書き方をしている。

                      なるほどと深くうなづいてしまった。

                       

                      自分が9年前に初めて鬱病を患い、心身ともに打ちのめされていた時に、ふとタワーレコードで聞いたのがベートーヴェンのピアノ協奏曲という話は何度もこのブログ上で記しているが、CDとして初めて買ったのはリヒテルが初めてのアメリカ公演の際に弾いたその曲である。他のピアニストもまるで知らないクラシックのど素人である私が初めて耳にしたのがリヒテルであり、背筋が震えるほど感動したことを覚えている。しかし、その時にはそんなに凄い演奏者であることすら知らなかった。

                       

                      それから9年の歳月が流れ、昨日久々に聞いたのがブラームスのピアノ協奏曲第2番である。

                      リヒテルが初めて西側であるアメリカに渡って最初に弾いたのがこの曲である。

                      セルが指揮するクリーブランド管弦楽団によるゼルキンの演奏も渋みがあって好きではあるが、やはりリヒテルにはかなわない。

                      百田尚樹はまさに「神が宿ったかのような演奏」と評しているが、そのパワーというか聞き手の魂を奪い去るかのような力に素直に感動するのである。特に、このブラームスのピアノ協奏曲第2番とシューベルトのピアノソナタ21番は段違いの表現力である。

                       

                      今日もその旋律に繰り返し浸ることになるであろう。

                       

                       


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