生命の連綿たるつながり 写真家「星野道夫」の哲学

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    JUGEMテーマ:読書

    珍しくこの土日は図書館に行かなかった。

    昨日はクラシックコンサートを堪能し、テレビやネット放送でサッカーを楽しんだ。

    それでも、星野道夫の写真集を見ていた。

    福音館の「たくさんのふしぎ傑作集」の「クマよ」「森へ」「アラスカたんけん記」である。

    これらのシリーズは子ども向けに編まれたものであるが、その内容=写真や紀行文は大人の私たちであっても思わず引き込まれる内容である。

     

    没後20年特別展 星野道夫の旅(朝日新聞社)にこう記されている。

    「人間はクジラに向かってもりを投げ、クジラはサケをのみこみ、サケはニシンをのみこむ。−生まれかわっていく、いのちたち。」

    そして、「いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。その時、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ」と。

     

    これは写真絵本「ナヌークの贈りもの」の中で語られている言葉だ。

     

    生命の連綿としたつながりを写真や文を通して描き切ろうとしたのが星野道夫の哲学であろう。

     

    数多くの写真の中で、私が一番好きなのは白頭鷲が飛翔する瞬間をとらえたものだ。

    森の主たるその気高くも勇ましい風貌が心を惹きつけてやまない。

     


    東大寺の瓦

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      JUGEMテーマ:日記・一般

       

      最近、屋根瓦に興味をもっている。

      特に寺院の瓦である。

      先日、ヤフオクにおいて東大寺の大仏殿の平瓦を手に入れた。

      昭和の大改修の際に用いられた瓦である。

      大仏を鎮護する大仏殿の瓦の数は約11万枚。

      しかも、東大寺の瓦は別格の大きさ、重さである。購入してみて初めて分かった。

      何とたった一枚の平瓦で15キログラムである。

      これを奈良時代という何も重工機がない時代に屋根に葺いたのである。井上靖の名作「天平の甍」に象徴される瓦である。

      瓦の焼き窯だけでも多数、平城京の周辺にあったのであるが、焼きや運搬などものすごい労力であったことは想像に難くない。

      そして、瓦の端に鎮座する鬼瓦の数々。

      東大寺ほどバリエーション豊かな「鬼」はあまりない。

      勿論、奈良時代の「鬼」とそれ以降の「鬼」では立体感が全く違うのであるが、瓦職人の思いが詰まった作品であることは間違いない。

      鬼瓦だけを集めた写真集を購入したのだが、いくら見ていても飽きることがない。

      またひとつ興味あることが見つかった。

      幸せなことである。


      AKB 河西智美の写真集は児童ポルノ法違反

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        JUGEMテーマ:ニュース

        講談社は11日、アイドルグループ「AKB48」のメンバー河西智美さん(21)の2月4日発売予定の写真集に不適切な写真があったとして、発売を白紙にしたことを明らかにした。同じ写真を掲載した12日発売予定の同社発行の漫画雑誌「ヤングマガジン」についても、写真を除くため発売を21日に延期した。上半身裸の胸を男児の手で覆い隠した表紙用の写真が、「読者に不快感を与える」と判断したためという。

        問題の写真は、発売告知の記事とともに、10日付のスポーツ紙などに掲載された。上半身裸の河西さんの胸を、幼い男児が後ろから手で覆っているため、「ポルノに子どもを巻き込む」「男児の虐待に当たるのでは」との指摘がインターネット上などで出ていた。

        極めて不快なニュースである。
        このブログでは芸能人の話題は基本的に取り上げないのであるが、人気があるから何でもありというAKBに対するいまの日本の風潮に歯止めをかける必要があると感じている。
        おととしも前田敦子がフジテレビのドラマ出演の際に着用していたTシャツが広島に落とされた原爆名であり、しかもあたかも投下された広島市民を馬鹿にするような内容であったことで抗議が殺到したというニュースもあった。

        前田は基本的に本来日本人であるならば、知っておかなければならない近現代史の事実も知らない馬鹿タレントであるのだから、製作会社やテレビ局の良識ある大人が事実を教えなければならないはずなのに、話題性だけを狙って確信犯的にTシャツを着させたり、胸を手で覆わせたりしていることが問題なのだ。 
        つまり馬鹿タレントに乗っかって儲かればいいんだという発想しかないハイエナどもがうようよいるよいう事実である。

        河西の写真集についていえば、言語道断。
        実の母親でも、自分の子に自分の胸を後ろから覆い隠させるよいう行為を要求する親はそうはいまい。
        講談社やカメラマンだけでなく、河西本人もそういう行為を男児がしていることが、社会的にどう影響するのかを考える思考力は全く働いていないのである。つまり、感性が鈍いのだ。

        感性が鈍い人間が何を人々に伝えられるというのであろうか?

        写真に関していえば、そこまでやりたいのであるなら男児などといわず、プロに徹しているAV男優に胸を揉みしがかれている写真のほうがよほどインパクトがあるだろう。売れるためなら何でもありならそこまで勝負しろといいたい。しかし、そんな度胸も、根性もない。
        才能のかけらもないのに英語で才能を表すタレントを使う矛盾。
        AKBだから許されるのではない。れっきとした児童ポルノ法違反である。人権侵害行為である。

        河西の場合、他局のテレビ番組、中途キャンセルといい、今回の問題。
        AKBの名のもとに奢っているのではないか。

        他のメンバーは河西とは違うと言い切れるのか?そんな言い訳は世の中では通用しない。
        しかし、AKBの産みの親が当時の商品であるおニャン子のメンバーを手籠めにした守銭奴 秋本康なので腐った遺伝子は受け継がれるということであろうか。


        ピュリツァー賞受賞全作品記録

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          待望の写真集が発刊された。
          「ピュリツァー賞受賞作品全記録」である。
          有名な写真がずらりと並ぶ。

          写真のみならず、付されている解説もいい。
          読み応えがある。

          先日、後輩から「ハゲワシの少女」を授業で取り上げたいいんですけど、持ってませんか?とたずねられた。

          1994年の特集部門で受賞したケビン・カーターのあまりにも有名な写真である。
          スーダンの餓死寸前の人々の様子を克明に写し取ったなかの一枚である。

          この写真が有名なのは、報道写真の在り方の是非を世に問うたからである。
          一番痛烈批判は「飢えた子どもを救うことより、写真を撮ることを優先するような写真家はハゲワシと同じだ。」というものであった。

          カーターは南アフリカでの反アパルトヘイト闘争の記録者として世界に名を馳せていた。
          民主的な写真家である。

          賞の受賞後、ヨハネスブルクの血みどろの抗争を取材していたおりに、親友のオステルブルークを失った。その悲しみに打ちのめされている中でのさきの批判は、彼の精神に大きな打撃を与えた。

          そして、受賞後の一ヶ月後にガス自殺を遂げたのである。

          「ハゲワシと少女」に限らず、報道とは何かを問う写真は多く存在する。
          永遠の命題ではないか。
           

          大胆な発想 廃棄原発を遊園地に

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            JUGEMテーマ:ニュース
            DAYS JAPAN七月号に一瞬、目を疑う写真が掲載されている。
            何と廃棄原発が遊園地に変身しているのである。
            場所はオランダとの国境近くにあるドイツのカルカルという町である。人々の粘り強い反対運動により、稼働しないまま姿を変えた元原発からは、人々の笑い声が響いていると記されている。

            また、550人の雇用を生み出すなどの効果も表れている。

            ドイツでは先月の6日に2022年までに全ての原発を撤廃するという内容の法案が可決した。
            一方、反原発の動きをヒステリーと揶揄し、放射能は安全か否かという二元論で他人事の論議を続けている我が国は将来の日本の人々に何も責任も感じていないということである。
            自分が生きている時に、被害が目に見えた形で降りかからなければ良いという発想はあまりにも無責任であり、幼稚ですらある。

            大胆かつ緻密な発想で物事を考えられるリーダーが誰一人としていない現実に暗然とした想いを抱くのは自分だけではないだろう。 菅内閣をすげ替えれば良い方向に全て進むなどというのは妄信である。

            人間の戦場  フォトジャーナリスト広河隆一の全軌跡

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               フォトジャーナリストであり、DAYS JAPANの責任編集者でもある広河隆一氏の全軌跡「人間の戦場」(写真集)をやっと手に入れることができた。

              一番心に深く心に刻まれたのは、第一部のパレスチナ中東取材30年の写真だ。
              1967年の第三次中東戦争において、イスラエルは広大な占領地を手に入れた。その時に、すぐに占領地を返還していれば、イスラエルは別の道を歩んだであろう。混迷の中東問題は21世紀まで尾を引かなかったであろうということである。しかし、そうはしなかった。

              その結果、抵抗運動とそれに対する弾圧を生み、憎しみの連鎖は今でも続いている。
              特に、1982年のベイルートへの攻撃の際には、市街地を再新鋭の戦車で破壊尽くした。砲撃による被害者は非戦闘員の方が多い。

              レバノンのベカー高原で、イスラエル軍の爆撃を受けて死んだ人の写真は正視に耐えない。
              しかし、広河氏は「これが戦争の本当の姿」とシャッターを切った。
              そして、遂に同年9月にベイルートの難民キャンプにおいて虐殺事件が起きた。その犠牲者の多くが子供たちである。アメリカ軍は何もしなかった。難民の身の安全を約束したにも関わらずである。

              そして、虐殺事件後にのこのこと「平和への貢献」という名目で戻ってきたのであるが、レバノンの自爆攻撃のために200名の海兵隊員が命を落としている。
              その後も、この戦いは続くのであるが、1982年といえば、私は大学生活を謳歌し、この事実も知らず、酒を飲み、毎日をのほほんと過ごしていた時期である。
              いや、自らこういった世界情勢を知ろうとしなかったと言った方が正確である。

              無知ほどおそろしいものはない。自戒を込めてそう思う。
              イスラエルとパレスチナの問題は、アウシュビッツから連綿と続いている問題なのだ。
              この500ページに及ぶ写真集が語りかけるメッセージは政治家の空虚な言葉よりも重く、深い。


              一枚の写真が国家を動かすこともある DAYS存続の危機

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                『一枚の写真が国家を動かすこともある』とサブタイトルのついた月刊誌DAYS JAPANが存続の危機に陥っている。
                世界の情勢を知る上で、良識のある硬派なこういった雑誌がなくなってしまったら、私たちは何から事実をつかめばいいのであろうか?
                特に、日本人は・・・

                かつて、国連高等難民弁務官事務所(日本・韓国)を取材のため訪れたときに、時の広報官であった齊藤氏は
                「日本は国境という概念がないため、その切実さ、言い換えればいつ自分たちの領土が他国に侵されるかという危機感がない。だから、NHKなどで難民問題などを取り上げる番組を制作しても視聴率は1%程度。ヨーロッパではそんな数字はありえない。」と述べられていたことを思い出す。

                何度も言うが、日本のメディアの質の低下は危機的状況であると思う。
                たとえば、昨日は大寒であったが、「北海道の稚内ではスケート場として使用されている屋外リンクの氷がとけた。」また、「東京、横浜でも17度以上と言う4月並みの気温を示した。」と呑気な顔をして各テレビ局の気象予報士たちは伝えているだけ。ことの本質である気象温暖化の危機に言及する報道など一切なされない。

                ところがDAYSの今月号の見開き2ページをさいた、カナダでのTOPICSという写真記事を見ると、衝撃を受ける事実を目の当たりにすることになる。
                その写真とは、地球温暖化にともない、個体数が大幅に減少した極北の地では、ホッキョウクグマが自分の生んだ子グマを無惨に食べている写真である。
                悠長に4月並みの気温ですなどと言ってる場合ではない。
                生態系そのものが破壊されようとしているのである。ところが、そんな話題は他人事である。
                無知はいずれ、悲惨な状況を引き起こす。その覚悟さえない。これはとても怖いことだと思う。
                だからこそDAYSの存続を切実に望む。そのためには行動するしかない。
                あと1000人定期購読者があれば存続可能です。
                世界の真実が知りたいという、このブログに立ち寄ってくれた人の中で、興味のある方はぜひ、DAYS JAPANのホームページまたは今月号を手にとってみて、購読者になってください。
                1年間で7700円です。
                 

                「舌読」 ハンセン病患者の社会との接点

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                  毎日新聞社発刊による一冊の写真集ここに人間あり」、サブタイトルは写真で見るハンセン病の39年を読みました。
                  胸が締め付けられる思いがします。前回にも書いた部落差別問題同様に、日本の政府の取ってきたハンセン病患者に対する90年間にも及ぶ差別・偏見の施策により、「強制隔離」「断種(堕胎)」を患者に強いることで、2万3000人以上の人々の尊い人生を台無しにしてきました。
                  1996年にやっと国はそのあやまちを認め、「らい予防法」を廃止したものの、現在でも3000人以上の人々が苦しい療養生活を送っています。
                  写真集を見ていて、一番心が締め付けられたのは、ハンセン病によって、視覚障害及び上肢・下肢に障害が残った高齢の患者さんが、残された唯一の感覚器官である「舌」で点字本を読んでいる姿でした。つまり「舌読」です。
                  なぜなら、隔離された生活を送っている患者さんにとって、社会との唯一の接点が読書
                  だったからです。
                  「本を読むことはいきることでもあった。」とキャプションのついた一枚の写真からは、隔離された生活の苦しさが滲んできます。あまりに夢中になって舌でよむあまりに、舌が切れて出血することも多くあったと記されています。
                  過酷な運命にありながらも、読書を通じて何かを学ぼうとするその姿に、人間の尊厳を感じます。
                  自分はこの写真集を読むまで、恥ずかしながら「ハンセン病」に対する理解はほとんどなかったといってもよいです。部落差別の問題でもふれましたが、こういったことが知らされないような社会の仕組みにこそ大きな問題があるような気がします。
                  無知こそ恐ろしいことはない。強くそう思います。他者への想像力を欠いた社会からは何も温かなものは生まれないと思います。そして、温かさのない国など「美しい国」になるわけがない。

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