毎日新聞 藤原章夫氏のコラムから考えたこと

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    あまりに暑いので台所のクーラーをつけたところ、21歳の長男が汗だくで帰ってきた。「わあ、やっぱり涼しいね」と感動しながらも、こんなことを言う。「お父さん、脱原発なのに、こういうの使って、矛盾してない?」

    それを「矛盾」ととるなら、矛盾でいい。いくら電力を使いまくっても、脱原発は主張できる。原発関係の企業や省庁に勤めていても同じだ。問われているのは、福島のような放射線汚染は未来永劫(えいごう)二度と起きないと言えるのか、ということだからだ。あるいは、最終処分場も決めず、見知らぬ未来の人々に核廃棄物を託してもいいのか、ということだ。エネルギー論というより個人の倫理が問われている。

    意見とは本来そうだし、特に倫理について語る場合、地位や経歴、立場、ふるまい、過去との一貫性にとらわれず、どこまでも自由であっていい。だから「電気自動車のCMに出ている坂本龍一が脱原発を語れるのか」「テクノポップで電気を使ってきた」という非難は、問われている問題の本質をぼやかすだけだ。【藤原章生】

    毎日新聞のコラム「憂楽帳」である。
    藤原氏の論理は明快であるし、その通りである。
    ただ、正直自分は全面的に共感できない部分もある。
    石原慎太郎が原発の問題を感情で考えてはいけないと息巻いた。
    しかし、人間らしさとは、まさに感情や情動に左右されるものではないか。
    原発再稼働に踏み切った野田政権とは民意という感情を排除していることに問題がある。
    そして、いつも原発をなくしたら電力が足りませんよと脅しをかける。
    全くの虚言であるのはわかっているが、その嘘で押し切ろうとする。
    ならば、フクシマの事故で故郷を失った人、今でも仮設住宅で生活を余儀なくされている人々。
    壊滅的な被害から回復できない東北の漁師さんの身になって、できる限りの節電をすることに決めた。
    最近、連日猛暑日であるが、我が家はクーラーのスイッチはつねにオフだ。
    オリンピックもできる限り見ない。
    脅しに屈したら負けだ。
    日本国民には知恵がある。みんなで、震災の人々の苦しみを分かち合おうとする気持ちもある。
    それを感情や情動で流されると笑うなら笑うがいい。
    日本人のよさとはそういうところにあるのだと私は信じている。

    朝日新聞のWEB論座に反原発運動は反政府運動であるという論評が載っていた。
    すべては読んでいないが、まさにその通りである。
    反政府運動とはいえ、政権を転覆させるというクーデターという意味ではない。
    しかし、体制側が国民の思いを無視して原発再稼働、オスブレイの強硬配備に突っ走っているのを静観できないというのが国民の意志である。

    この動きが無視できないのはイデオロギー闘争ではないところだ。
    生命を重視するのか否かの分岐点である。

    TPPの難題も野田は頭を抱えているが、以前自分はこのブログでジェネリック医薬品を排除することにつながり、国境なき医師団の活動など緊急援助の大きな妨げになると書いた。
    アメリカは強者の論理で押し切ろうとし、日本はただ追随するだけだ。
    これだけ弱者を踏みにじる政権も珍しい。 
    野田=NODA。野田政権はNOと主張することはローマ字の綴りが暗示している。
    YESに変えるとそれを不定する無を入れることになる。
    そうするとMUNODA。つまり無能だになる。
    いずれにせよ、どうしようもない政権なのだ。

    アメリカ軍のアフガンからの撤退に関して

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      生まれてきた新しい命は、それ自体が未来そのものだ。「どの社会にとっても、赤ん坊にミルクを与えること以上に素晴らしい投資はない」と、第二次大戦中のラジオ放送で英首相チャーチルは述べたという。だが、ゆりかごで安らかに眠れぬ子が、世界に多くいる▼戦乱で荒廃したアフガニスタンを支援する国際会合が東京であった。かの国では、5歳未満の乳幼児の4人に1人が命を落とす。その影響もあろう、平均寿命は44.6歳でしかない。どちらも世界で最悪に属する数字である▼古くから列強の軍靴に踏まれた歴史を持つ。9・11までは、しばし世界から忘れられたような国だった。テロの後はアフガン戦争が起きた。だが、間もなく世界の目はイラクへ移る。関心の薄れる中、戦火は国土と人の心を荒(すさ)ませた▼テロが頻発し、汚職がはびこり、麻薬栽培は広がった。国づくりの礎(いしずえ)になる教育もおぼつかない。撤兵を決めたオバマ米大統領の言う「長い戦争の責任ある形での終わり」から、現状はほど遠い▼「埋められたのが地雷ではなく、小麦の種であったなら」「米軍が爆弾でなく、本を落としていたら」――。この国で映画を撮ったイラン人監督モフセン・マフマルバフ氏が述べた言葉を、前に引いたことがある▼貧困と無知がテロと暴力の温床になる。武器による腕力より、社会を変えるには柔らかい支援こそ大切、と読める。先は遥(はる)かに遠いけれど、荒野が緑に変わるときを信じたい。手助けを途切らすことなく。 アメリカがアフガニスタンで成したことは何だろう。 国土を荒らし、人民の心をすさませただけではないか。 米兵も多くの命を落とした。 責任である形での終わりというオバマ大統領の言葉は虚しい。 地雷はカンボジアと並んで世界でも最多。 どう人々に希望の道を歩めというのか。 あまりにも大国の身勝手さを感じる。 ビン・ラディンが死ねば一国の民の命など露ほどでもないという傲慢主義がなくならない限り、日本の基地問題でもオスブレイの沖縄へのごり押しに徹することは見え見えである。 爆弾ではなく本を。胸に刻むべき言葉である。

      電気代値上げの陰に東電のあさましい姿

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        東京電力の家庭向け料金値上げ申請に対し、経済産業省の専門委員会が燃料費削減などを求める報告書をまとめた。燃料が高ければ料金は高くなる。高値買いを放置してきた政府の責任も重い。

        東電が申請した電気の総原価は年間約五兆七千二百億円。経産省の電気料金審査専門委員会は競争発注拡大による修繕費削減などを積み上げたが、削減額は五百億円前後にすぎない。平均10・28%の値上げ申請圧縮は9%台にとどまる見通しだ。

        東電は福島第一原発事故で財務状況が窮迫しているとはいえ、値上げには説得力のある説明が欠かせない。だが報告書は釈然としない点が目につく。原価の約四割、二兆四千七百億円に上る燃料費の削減はわずか百億円と極めて少ない。削減努力を怠った揚げ句に値上げでは消費者はたまらない。

        福島の事故で火力発電依存が強まり、液化天然ガス(LNG)の購入額が激増した。二〇一一年度は火力発電全体の七割、一兆七千七百億円をLNGの購入に費やした。やむを得ない面もあるが、世界一の高値で輸入している現実に報告書は深く切り込んでいない。

        天然ガスは世界的に余剰感が強まり、欧州は百万BTU(英国熱量単位)十二ドル前後で輸入し、韓国はシェールガスの量産が始まった米国と十ドルで輸入契約を結んだ。しかし、日本は中東などから十七ドルの高値買いだ。専門委は「直近の取引実績」に基づいて削減するよう求めたが、甘すぎる。

        電力会社は価格が上がれば、その分を自動的に料金に上乗せできる原燃料費調整制度で守られており、高値買いでも経営圧迫の心配がない。一ドルでも安ければ値上げ幅を縮められるのに産ガス国に値下げを迫っているのか疑わしい。

        最終結論は枝野幸男経産相らに委ねられたが、その際、東電に交渉能力を飛躍的に高めるよう求めるべきだ。稚拙とさえいえる燃料調達は東電だけでなく、他の九電力も大差ない。複数の輸入企業を一括して交渉し、値下げを執拗(しつよう)に迫る韓国の事例も参考になる。

        併せて、専門委は人件費についても「公的資金の注入企業として一層の引き下げを求める強い意見がある」と枝野氏に政治判断を促した。

        東電の年収20〜25%削減に対し、同じように公的資金を受けた、りそなホールディングスや日本航空は30%程度引き下げている。消費者の厳しい視線にも耐えられる決断を求めたい。

        今日の毎日新聞の社説である。
        一般国民の新聞離れが進んでいると聞くが、値上げの背景を知っている人、いや知ろうとしている人はいるのだろうか。
        私は、当然燃料費の削減努力を図っていると思っていた。
        しかし、上記の社説で述べられているようなありさまだ。
        削減努力はしない。その代り、自分たちの給料は確保する。
        何とも卑しくあさましい会社である。

        それで消費者が納得するとでもおもっているのか。
        しかし、一方で不可解なのは経済産業省の申請許可だ。
        どう考えても癒着体質があるのが明らかになった。
        巨悪が隠されているのではないか。
        徹底的に追及するのがメディアの使命であろう。


        東京電力の不実さを徹底的に暴くとき

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          福島第一原発事故の警戒区域を、ダチョウが走り回っていたことがある。地元の飼育施設から逃げ出した▼原発事故の国会事故調査委員会が出した報告書を読んで、岩波少年文庫のアメリカ子ども詩集に収められた詩「ダチョウ」を思い出した。<なんてヘンテコリンな鳥だろう、ダチョウって。頭は、からっぽかしら?でも、足のほうは速くって、走ると、自分で自分をおいてけぼりにしちゃうくらい>▼報告書を冷静に読み続けることは、難しい。規制当局が東電に操られていた不明ぶり。東電も政府も耐震・津波対策が必要だと認識していたのに、先送りした不作為。緊急時に正確な情報伝達もせず、官邸の顔色ばかりうかがっていた東電幹部の不実さ。福島の人々は、血が逆流するような思いだろう▼組織の利益を守ることが、国民の命を守ることより優先された。それが、事故の根本的な原因だと調査委は断じた。本来の目的を忘れ自己防衛に走る巨大組織は、何のために走るのかも忘れて駆け続ける頭が空っぽの鳥そのものだ▼詩はこう続く。<だから目的地に早々と着いても、けっきょくなにもすることがなくて、ずーっと立っているしかない。日が暮れたころに自分がやっと自分に追いつくまで>▼警戒区域のダチョウはもう捕獲されている。けれど国民を忘れた巨大な怪鳥が、今も日本中を走り続けている。

          「筆洗」である。
          今週のトップニュースはなんといっても国会事故調査委員会が下した原発事故は明らかに人災というものであろう。

          東京電力は内部腐敗している。自浄作用がきかない。
          まさにメルトダウンの状況にあるのではないか。
          不実をごまかし、想定外という言葉を乱発し、危機管理として当然やらねばならなかった地震・津波対策を投げ出していた。
          そういう、怠慢な会社が今度は平気で、一割の電気代のアップを求める。
          おかしくはないか。

          全く反省もなく、自分たちは高給に興じ、国民にさらなる負担を強いる。
          経済産業省や財界との癒着があるのはみえみえである。
          暴いてほしい。
          人災となれば犯罪行為に等しい。
          罪を問われてしかるべき会社が、お化けのごとくのっそのっそと闊歩し、またぞろ危険性の高い原発を全面稼働しようとしている。

          命よりお金を守る体質の会社など不要である。
          人事をすべて刷新して一から出直してほしい。 

          永田町 泥鰌がタヌキに進化する

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             <永田町どじょうがタヌキに進化する>。本紙の時事川柳は本質を鋭く突いて秀逸である。自民党の主張を丸のみし、消費税増税の実現に突き進む野田佳彦首相。就任時、自らドジョウに例えた庶民性は見せかけだった▼<望まない法案だけはすぐ通り><国民に背を見せ首相のケセラセラ>。脱官僚、地方主権、コンクリートから人へ…。政権交代の看板の大半を下ろしてしまったのだから、民主党という政党はもはや抜け殻である▼小沢一郎元代表ら衆参合わせて五十人がきのう、党本部に離党届を提出した。増税という最も重要な政治課題で、考え方が百八十度違う集団が、同じ党にとどまる方が不自然だろう▼「壊し屋」の異名を取る小沢さんも七十歳。最後の挑戦になるかもしれない。離党後の記者会見で、小沢さんは次の衆院選での主張として、増税反対に加え、原発の再稼働の問題を挙げ、今後「脱原発」を強く訴えていく考えをにじませた▼昨年の代表選で、小沢さんは原発推進派の海江田万里元経済産業相を担ぎ出した。その判断は正しかったのだろうか。将来のエネルギー政策についての考え、放射性廃棄物の処理方法など、聞いてみたいことは山のようにある▼<煮詰まって焦げ付きだしたドジョウ鍋>。首相の政権運営は綱渡りになった。狡猾(こうかつ)な知恵を貸してくれるタヌキ官僚たちにはもう頼れない。 小沢一郎が脱原発の方針というのは正直意外なきがした。 選挙向けのアピールにとどまらぬことを祈るばかりだ。 首相に就いただけで野田さんは出来すぎである。 そんな器量などもともとなかった人だ。 器量が狭い上に、国政を揺るがすような大震災が襲った。 ど素人の原発問題では御用学者や官僚、電力会社の言い分を鵜呑みにするだけのリーダーとしての安全安心な国づくりという一番肝腎な視点が抜け落ち、もはやこの時点でこの人の馬脚が表れていた。 自民党の谷垣も大同小異。公明党は全く意味不明。政権与党に組みしていれば嬉しいという自民党の犬になってしまった。キャスティングボードといえばカッコいいが、本質は政権にぶら下がる犬だ。信用ならない。 混迷の時代に、どういった新しい党が生まれ、風が吹くのか。 停滞のままなのか。 目が離せなくなってきた。

            シリアがかかえるキリスト教徒の複雑な事情

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              無知とは怖いものであり、恥ずべきことである。
              それは自分自身のことだ。
              シリアの話題については折に触れ書いてきたが、政権を握る少数派のアラウィー派が支持基盤としてキリスト教徒を取り込んできたという背景は知らなかった。
              「目から鱗」という語源にしてもだ。
              以下、朝日新聞のWEBRONZAからである。

              シリア情勢の構図は、政権を握る少数派のイスラム教アラウィー派と民主化を求める多数派のイスラム教スンニー派の対立である。アラウィー派は、人口の12パーセント程度、スンニー派は70パーセントとされる。あわせても82パーセントにしかならない。

              残りの18パーセントは、どうなっているのだろうか。イスラム教の他の少数派のイスマイリー派やドルーズ派、それにキリスト教徒が18パーセントを構成している。

              中東の独裁政権は、マイノリティーであるキリスト教徒を支持基盤に取り込んできた。特に政権自身がマイノリティーによって形成されてきた場合は、その傾向が強い。イラクのフセイン政権は、人口の2割程度にしか過ぎないスンニー派の政権であった。シリアのアラウィー派の少数派政権であるアサド体制も、イスマイル派やキリスト教徒の支持を集めてきた。

              独裁政権との深い関係は、政権崩壊後にキリスト教徒に対する迫害を引き起こす。イラクの場合でもキリスト教徒への迫害が激しくなり、多くが国外に脱出した。例外は治安の安定している北部のクルド人地域である。ここではキリスト教徒を含む少数派が、平和裏に日常生活を守っている。

              シリアのキリスト教徒の人口は、全体の10パーセント程度と推測されている。その歴史は古く、新約聖書にも言及がある。

              一番有名なのは、キリスト教徒を弾圧していたパウロがダマスカスへの途上でイエスの声を聞く話である。突然に天からの光がパウロを失明させた。そして同時に「なぜ私を迫害するのか?」との声をパウロは聞く。3日後にアナニアという名のキリスト教徒が祈ると、目から鱗(うろこ)のような物が落ちてパウロは目が見えるようになる。パウロはキリスト教を受け入れ、その布教に努めるようになる。シリアにおけるキリスト教の歴史の古さを伝える記述である。また、これが「目から鱗」の語源でもある。

              もうひとつ、シリアのキリスト教の伝統の長さを伝える話を紹介しよう。2004年にメル・ギブソンが制作した『パッション』という映画が公開された。このイエスの処刑を描いた映画の話題のひとつは、使用された言語であった。出演者たちが古代の言葉を使ったからである。映画の中でローマ人はラテン語を、ユダヤ人たちはアラム語を使った。イエスもアラム語で語った。

              シリアの山間部には、このアラム語を使うキリスト教徒の村が残っている。イエスの話した言葉と同じ言葉を使う人々がシリアにいるわけだ。それくらいシリアのキリスト教は、そのルーツと直接につながっている。 そのキリスト教徒のコミュニティが、シリアの政治変動を不安な視線で見守っている。独裁のもたらす自由のない安定を支持してきた少数派は、独裁の崩壊に続くであろうイスラム化の嵐を恐れている。

              そして独裁から民主化への過程での内戦の発生を、もっと恐れている。歴史の大きなうねりに、少数派の人々も巻き込まれざるを得ないだろう。キリスト教徒たちが不安なまなざしでシリア情勢の展開を見守っている。

              独裁から民主化の流れの中で、今度は支持基盤だったキリスト教への迫害がおこるのだとしたら、それは悲劇の連鎖でしかない。
              結局は宗教間の軋轢の中でしか、われわれ人類は生きていや死していくしかないのか?
              複雑な思いである。

               

               

              被災地の瓦礫受け入れ反対の心理

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                 細野豪志環境相は2月21日の記者会見で、東日本大震災で発生した災害廃棄物(がれき)の処理が、岩手、宮城、福島の3県で5%しか進んでいないことを明らかにした(21日付毎日新聞Web版)。

                 環境省は、がれきの処理を14年3月までに終えたいとしているが、細野環境相によれば「大変な量で処理しきれない」ため、目標達成の見通しは極めて厳しいとの見方を示している。

                 処理が進まない理由のひとつとして、がれき受け入れを決めた自治体における反対や不安の声がある。これが通常の地域エゴといくぶん様相が異なるのは、津波による被災地のがれきまでもが、ほとんど放射性廃棄物も同然の扱いを受けているためだ。

                 震災で発生したがれきは、3県すべて合わせると計2253万トンという膨大な量にのぼるという。この量は地元の処理能力をはるかに超えており、平地が少ないリアス式海岸では、保管する場所も乏しい。かといって放置すれば復興に著しい支障を来す。

                 福島の一部で発生したものを除けば、がれきの放射線量はきわめて低く、関東のそれと変わらない。原発からの距離のみならず、風向きや潮流を加味してもこれは当然のことである。それでも各自治体は、説明会やがれきの燃焼実験などを繰り返すことで住民の説得に努めているが、いまだ不信感はぬぐい去れていないようだ。

                 しかしこうした事態は、京都の五山送り火で岩手・陸前高田の松が拒否された時点で予想されたことだった。最近でも子供たちに青森県の雪を見せようとした那覇市の企画が、反対の声でいったん中止されている。こうした反応の根底に「放射能=ケガレ」の発想がある可能性については以前にも述べた。

                 ただし、私がいま懸念しているのは、このままがれきの受け入れが進まず、東北の復興が遅れてしまうことではない。

                 おそらくがれきを受け入れる自治体は少しずつ増えていくだろう。そうした自治体が一定数を超えれば、ケガレ意識に基づく拒否反応も急速に減っていくはずだ。受け入れ反対の立場には科学的根拠がない上に、しばしば少数派ですらある。戦後の日本の政策において、ケガレ意識が科学を圧倒したケースとしては「らい予防法」くらいしか思いつかない。今後もがれきの移動と処理は、粛々と進められることになるだろう。

                 ただし、こうした私の予測が正しいとしても、それは決して手放しで喜べるような事態ではない。このままがれき処理が完了しても、受け入れる自治体側の被害者意識や、受け入れてもらう被災地の側の負い目について、十分な手当てがなされるとは考えにくいからだ。

                 ここで、「ケガレ」から「セキュリティー」に視点を変えてみよう。

                 社会学者のジグムント・バウマンは「ゲーテッド・コミュニティー」を例として、過剰な「安全」の追求は何をもたらすかを述べている(「コラテラル・ダメージ」青土社)。彼の卓抜な比喩によれば、それは「子供たちが完全に安全な環境で水泳を覚えられるようにと、プールから水を抜くようなもの」なのだ。

                 安全とセキュリティーには「これで十分」という基準がない。それゆえに放射能のように、「これ以下は安全」というしきい値が未確定で、なおかつ眼(め)に見えない存在に対する場合ほど、安全性の追求は「強迫観念」に似たものになる。

                 そうした強迫観念は、バウマンも指摘するように「恐怖心や不安、敵対心、攻撃性、道徳的な衝動の弱まりや抑制に伴う、不安定さの縮小ではなく、むしろその急速な増大」をもたらす。また長期化することで、相互信頼が掘り崩され、猜疑(さいぎ)心(しん)の種がまかれ、意思疎通が難しくなる。

                今日の毎日新聞「時代の風」での精神科医 斎藤氏の論評である。
                放射線への恐怖は石原慎太郎がいうようなセンチメントではない。
                人間のもつ根源的な恐怖心であり、理解できる。
                ただ、斎藤氏も述べているように、被災地のすべての瓦礫が危険な放射線の数値を示していないという事実を冷静に見極める必要がある。

                結局ミュージシャンが支援のコンサートを何度繰り返しても、被災地とそうではない地域との人間の間には、大きな溝。つまり、デマも含めて猜疑心という現状では埋められるべくもない溝が横たわっているという事実である。

                何とも悲しい話ではないか。

                自分さえ安全ならそれでいいのか。日本人とはかくも冷たい人間であったのか。
                過剰な安全追求が人間疎外をもたらすのなら、それはハンセン病患者への国がとってきた差別隔離政策と全く同義である。
                ハンセン病患者の放置に憤りを感じるなら、数値的に安全だと考えられる瓦礫までも受け入れないという姿勢に対しても同じ憤りを感じるはずだろう。

                いずれの問題も所詮は他人事なのだ。

                いつから、こんなに情けない国になり下がってしまったのか。
                政治も空白なら、人々の心も空白だ。

                そもそも絆の語義を知っているのか?
                決して現在使われているようなよい意味ではない。
                今の日本はその語義通りのうすっぺらな絆ごっこに酔っている。
                実にくだらない。


                原発と水俣病

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                  毎日新聞のコラムを紹介する。

                  今年を振り返り、誰もが忘れられない出来事は東日本大震災だろう。とりわけ未曽有の東京電力福島第1原発事故は、あらゆる方面に大きな波紋を投げかけた。

                  震災以降原発事故と水俣病には共通点があると指摘されている。
                  一見、何の関連もないようだが
                  ▽国策としての産業政策の延長上に起きた
                  ▽政策推進の意をくんだ専門家らの意見ばかりに耳を傾けた結果、自然環境や人の健康など被害が広範囲に及び取り返しのつかない結果を招いた
                  ▽風評被害や差別に苦しめられている−−などなど。

                  水俣病未認定患者の救済を巡っては昨年5月から特措法に基づく救済措置の申請受け付けが始まった。特措法は救済対象者を「3年以内に確定する」としており、国は今年末までの申請状況をみて期限を見極める方針だ。

                  しかし、患者団体の多くは「まだまだ被害者はいる」と早期打ち切りを警戒している。半世紀が過ぎてもこうした状況からして、水俣病は何ら解決していない。

                  ミナマタの教訓を原発事故にどう生かすのか。重い課題が突きつけられている。【早田利信】

                  水俣を世界遺産にという遺言を残して川本輝夫は死んだ。
                  水銀を垂れ流し続けたチッソ相手に直談判で交渉した正義の男である。

                  死してなお、水俣はなお終結していない。

                  いわんや、このたび発表されたフクシマの事故報告書も欺瞞に満ちている。

                  未曾有の津波があたかもメルトダウンの直接的なひきがねのように報告しているが、事故当時、東電の社員たちは事故原因を地震とFAXに明記している。DAYS1月号がすっぱ抜いている。
                  東京電力の隠蔽体質がまた露見した。なぜ、このスクープを大手の報道メデイアは取り上げないのか?最大スポンサーだからである。

                  腰の引けた報道局などいらない。都合の悪い事実を隠ぺいするのなら。戦時下の翼賛政治体制下と変わりはない。
                  非核三原則の国民的議論のないままのなし崩し。原発輸出にしても兵器共同開発にしても、要するにお金を得られるなら汚い商売をするというのが、野田民主党政権の正体であり、極めて危険である。
                  泥鰌を汚い泥の中でも生きるというたとえで使ったとしか思えない。

                   

                  どうした!?矢口敦子

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                    「償い」を読んだ後の期待感が強かったためか、矢口敦子「証し」は正直自分は期待はずれという感が否めません。確かに、卵子提供者である「DNA上の母」である朝倉木綿子と「産みの母」である佐伯絹恵の心理戦のような縦軸を中心に、一家四人惨殺事件の真相に迫っていく過程は、緊迫感はあるものの、登場人物の背景や心情の記述が粗いために、読み終わった後でも、何となく釈然としないものが残りました。
                    もともとのタイトルがVSということで、そのための謎解きのために書かれているような印象さえ受けてしまいました。
                    丁寧に、あぶりだすように登場人物を描いていくことが大切なのではないか。その頂点が何度もこのブログ上でも書いてきましたが、個人的な見解としては松本清張であると思います。
                    矢口さんの次の作品に期待したいと思います。

                    現代史の対決

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                      現在、読んでいる本は、歴史学者であり、千葉大学や日本大学の教授を歴任した秦郁彦氏の「現代史の対決」です。文春文庫から出ています。
                      興味ある話題が多い中で、一番目にとまったのは、20世紀をふり返ってみると戦争と虐殺の歴史だったという秦氏の発言から始まる、鼎談「戦争犯罪ワースト20」を選ぶです。鼎談の相手は、拓殖大学の海外事情研究所所長の佐瀬昌盛氏と神奈川大学教授の常石敬一氏です。
                      安直なタイトルには抵抗感があるものの、内容は初めてする事実も多くあり、考えさせられました。3人の中では、常石氏の発言に好感がもてました。それは、事実を事実としてうけとめ、南京の虐殺事件にしても秦氏が歴史学者の事実ありきの立場から虐殺された人数に幅がありすぎることを問題視しているのに対して、武装解除した便衣兵や捕虜を拉致して殺したことや、常軌を逸した殺戮行動には問題ありと指摘しているなどの姿勢に共感しました。
                      以前このブログで紹介した、小田実の「ひとりであってもむごい殺され方をしたら問題だと感じることが大事」という話に通じるものがあるなあと感じました。
                      しかし、大量殺人の横綱(こういう格付けにも疑問がある)は毛沢東とスターリンという結論には驚きました。全体主義や共産主義を徹底させていく上では、権力維持のために実利的に人を殺していくという事実に怖さを感じます。スターリンなどは将来この人間はこの国にとっておそらく危険だろうと判断した人間までも粛清している。
                      だからこそ、こうして、私のような名もなき一人の個人がこのブログを通じて自由に発言ができる国・日本の憲法の存在を有難いと思います。

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