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ソングバード再び クリスティン・マクヴィーの歌に酔う
音楽 / カーソン・ライダー 
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    JUGEMテーマ:音楽

     

    リンジー・バッキンガムとクリスティン・マクヴィーが組んだ最新アルバムその名も「リンジー・バッキンガム/クリスティン・マクヴィー」を衝動買いした。

    二人とも、元フリートウッド・マックのメンバーである。

    1970年代を代表するモンスターアルバム「噂」は1400万枚以上を1年間で売り上げ、グラミー賞の最優秀アルバム賞にも輝いた。

    集録されている楽曲は粒ぞろい、まさに捨て曲なしの完璧なポップアルバムであった。

    当時、自分は高校生。

    「すごいアルバムが出たぞ。」とクラスでも洋楽好きの仲間内では評判になり、貪るように聴いたものだ。

    その中でも、シングルカットされた楽曲以上に心に残ったのが「ソングバード」である。

    ヴォーカルはクリスティン・マクヴィー。

    当時はルックス的にスティービー・ニックスの方が若くて可愛いということで人気が高かったようであるが、自分は断然クリスティン派であった。

    魅力はその声である。

    「ソングバード」を聴いたとき、本当に鳥肌が立った。

    そのクリスティン・マクヴィーの声が帰ってきた!

    4曲目の「赤い太陽」もいいが、何と言っても最終曲の「カーニヴァル・ビギン」である。

     

    カーニヴァルの始まりよ

    全てを受け入れるの

    負けてしまうかも、勝つかもしれない

    新しいメリーゴーランドの人生

    カーニヴァルの始まりよ

     

    クリスティン・マクヴィーがフリートウッド・マックに戻ってきたのだ。

    再出発の歌だ。ソングバード再び!

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    見た目ってなんだ? ラブリィ!
    読書 / カーソン・ライダー 
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      久々の青春直球小説「ラブリィ!」(講談社)を読んだ。

      第57回講談社児童文学新人賞受賞作である。

      人の見た目、外見ってなんだという問いかけのもと、その意味を真摯に考えようとする主人公である中2の拓郎の姿に共感した。

       

      長い間、見た目について考え続けてきたオレだけど、今の渉おじさんの話を聞いて、見た目に対する「かわいい」とか「そうじゃない」っていう決めつけは、世間っていうサングラスをかけて見ているのと同じじゃないかって思った。サングラスを取って、自分の目で見て感じたものが本当なんだ。

       

      サングラス=色眼鏡。

      余談ではあるが、本を読み終えて時にふと岡林信康の「歪んだサングラス」を思い出した。

      色眼鏡でものを見る愚かさを皮肉った楽曲である。

       

      「世の中の多くの人は見た目で判断するかもしれないけど、オレは信じるぞ!世の中見た目じゃねえ!大事なのはここだって!オレが証明してやる!」

       

      大人なら鼻白むような言葉がストレイトに心に届くのは、世間という色眼鏡に毒されていない拓郎の心を、誰もがもっていた時代があるからだろう。

      読後感の爽やかな佳作である。

       

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      ブラームスの圧倒的な魅力
      音楽 / カーソン・ライダー 
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        JUGEMテーマ:音楽

         

        ブラームスの音楽の圧倒的な魅力にはまっている。

        とりわけ4曲の交響曲の素晴らしさである。

        いま、聴いているのは交響曲4番、ジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団の1960年代の演奏である。

        セルの折り目正しい一点の曖昧さも感じさせないフレージングや透明な音色は20世紀オーケストラ演奏の極点とまで言われている。

        そのセルのお眼鏡にかない、1964年クリーブランド管弦楽団の副指揮者に選ばれたのが、ジェームス・レヴァインである。

        そのレヴァインの指揮するウィーン・フィルを率いての1994年のライブが、私のこの4番のベストである。

        この交響曲はブラームスの「人生の秋」を表現したものとして知られ、孤独や寂寥感が際立つ演奏が多い。

        たとえば、クレンペラーの堅牢な演奏に如実に表れている。

        しかし、レヴァインの手にかかると、そのどちらかというと陰鬱な厳かさが影を潜め、どこか明るくやわらかな演奏に姿を変えるのである。

        明快な音の輪郭が鮮やかな音像を作り出している。レヴァインならではの独自な音楽空間といってもよい。

        第4楽章の有名なバッサカリア。31の変奏を締めくくる最後のホ短調の和音の響きは実に晴れやかで、この演奏の白眉である。

        ブラームスの交響曲に刺激される形で、昨日は図書館に行ってブラームスに関連する本をじっくり読んでいた。

        音楽家の人となりについて読むのはベートーヴェン以来である。

        様々な音楽家とのつながりが書かれており、大変興味深かった。

        特に印象的だったのはクララ・シューマンとの関りである。

        晩年、シューマンの第4交響曲の初稿の出版をめぐって、二人の関係に決定的といってよいほどの亀裂が生じる。

        完璧主義で自分の考えを決して曲げることのなかったブラームスもことクララに対しては驚くほど謙虚で恭順な態度を示し、ピアノ小品集を贈ることで、関係の修復を図ったというエピソードが強く心に残った。

        この夏はブラームスのその他の作品にもじっくり耳を傾けてみたい。

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        ネクスト・フェイバリット
        ミステリー / カーソン・ライダー 
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          JUGEMテーマ:読書

           

          以前、フェイバリットの定義についてこのブログで記したことがある。

          例えば、好きな作家として名前を挙げるには最低でも著作物を10冊以上読んでいることが条件である。

          自分で勝手に決めた定義である。

          逆に言えば、10冊以上読んでいる作家は「お気に入り」といってよいと考えている。

          いま、フェイバリットの仲間入りに最も近いのが佐藤正午と石持浅海である。

          佐藤正午は寡作な作家ゆえに10冊に到達していないだけで、個人的にはストーリーテラーとしての才能は日本でも3本の指に入ると思っている。凡作や駄作のない作家である。

           

          いま、図書館に通って読んでいるのは石持浅海である。

          今月に入り、このブログでも紹介している通りである。今日は「見えない復讐」を読了した。

          正直、期待外れで終わった。

          ミステリーとしての質だけでなく、物語として面白くなかった。また、読後感が非常に悪かった。

          復讐の動機という根幹にかかわる部分があまりにも希薄なために、主人公たちの考える大仕掛けともいえる復讐劇に全く共感できず、それ以上に、小説とはいえ人の命をあまりにも軽く、雑に取り扱うかのような描写には閉口した。

          新たなチャレンジのつもりであったのだろうが、ロジカルな謎解きという石持浅海らしさは見られず、ただの凡作いや駄作という領域を超えられなかった。残念である。

          その後、読み始めたおなじみの座間味くんという安楽椅子探偵物は新味はないにしろ、安定感を感じながら読むことができた。

          ただ、ややこじつけと思われる推理も見られ、平凡作の域は出ていない。

          石持浅海自身相当数の作品を上梓しているので、素晴らしい作品もあるのであろうが、なかなか「これぞ!」という作品に出逢えていないのが正直な感想である。

          このままだと決定打のないまま、フェイバリットの仲間入りというおかしなことが起きてしまう。まあ、初めて読んだ「顔のない敵」は好きであるのでいいのだが・・・ なんとなくもどかしい思いをしている。

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          ブラームス・デイ
          音楽 / カーソン・ライダー 
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            JUGEMテーマ:音楽

             

            昨日、今日と「ブラームス・デイ」である。

            古今東西、数多ある交響曲の中で、一番好きな曲は何かと問われた時に、その時の心象風景もあるだろうがベートーヴェンの交響曲と並んで間違いなく上位に挙げるのがブラームスの交響曲1番である。

            この曲をひたすら聴いていた時期があった。2014年のことである。

            精神的に参っていた時期からやっと回復の兆しを模索していたころの話である。

            ブラームスの交響曲はわずか4曲しかない。その理由は、彼が尊敬する偉大なる先人であるベートーヴェンの不滅の交響曲の偉容に畏怖を感じていたからである。

            交響曲1番の着想から発表までになんと21年も要した。

            ブラームスとロマン主義を代表する作曲家というイメージが一般的であるが、彼は古典派の作曲家を敬愛した。

            流行りの標題音楽やオペラには全く見向きもせず、ひたすらに絶対音楽としての音を希求した。

            個人的にはロマン主義というより新古典主義という表現のほうがしっくりくる。

            ブラームスは容貌からは想像できないほど、自分の甲高い声にコンプレックスをもっていたといわれる。それ故か、人とのコミュニケーションの取り方が下手で、敵も多くつくった。かなりの毒舌家でもあった。

            ワーグナーやブルックナーとの対立は有名である。

            しかし、根は優しい一面もあり、ブルックナーの葬儀には会場の片隅で佇み、哀悼の意を表したというエピソードもある。

            そんな彼が作った交響曲は全てが傑作である。

            ただ、やはり群を抜いているのが1番である。

            昨日一日中、いろいろな指揮者や演奏者の1番を聴き比べて過ごしていたのだが、飽きるということがない。

            特に4楽章のベートーヴェンの第9にも似ているといわれるメロディに至る、ホルンの調べのたとえようもない美しさといったら言葉にできない。この旋律は彼が愛を感じていたクララ・シューマンに捧げた歌である。

            そして、激しく対立したワーグナーさえ唸らせた「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」の管弦曲版編曲。

            久々に音楽の至福を堪能した。そして、クレンペラーとセルの交響曲全集を注文してしまった。

            3年前のブラームスに浸っていた苦しい時期が愛おしく思い返せる今夏である。

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            ブルックナーの交響曲を聴く
            音楽 / カーソン・ライダー 
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              JUGEMテーマ:読書

               

              今まで聴いてこなかったクラシックの作曲家の作品を聴いている。

              最近、魅力を感じているのがブルックナーである。

              特に、交響曲3番と9番を好んで聴いている。

              3番は、別名「ワーグナー交響曲」とも呼ばれているもので、あのワーグナーに献呈した作品としても知られている。

              献呈されたワーグナー自身に「ベートーヴェンの交響曲の後を継ぐ作曲者がいるとしたら、ブルックナー君だ。」と言わしめた作品でもある。

              テンシュテットによるライブ盤を聴いているのだが、ドライブ感あふれる胸のすく演奏である。

               

              9番はブルックナー未完の作品であるが、荘厳という言葉がぴったりの曲である。

              こういう曲を演奏させたらやはりバーンスタインだなと思わせる、ウィーンフィルの演奏である。

              厳かな中から幽かに立ち上ってくるような光を感じさせる演奏とでもいおうか。

              メロディとかリズムとかそういう世界とは別次元の音楽がそこにある。

              音楽の圧倒的な力の恐れ入るばかりである。

               

               

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              石持浅海のミステリー
              ミステリー / カーソン・ライダー 
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                JUGEMテーマ:読書

                自分の読書の傾向として、同一作家の作品を連続して読むというものがある。

                いまは、石持浅海の作品を読んでいる。

                「届け物はまだ手の中に」(光文社)を先日読み終えた。

                ロジカルシンキングが冴えわたる一編であるが、それ以上にこの作品を際立たさせているのが、状況設定である。

                誰が?どのようにして?を問うのではなく、「なぜ、主人は部屋から現れないのか?」「部屋では一体何が行われているのか?」を考えさせるミステリーである。

                そして、最後の意表をつく結末。

                ブラックユーモア的なその結末には唖然とさせられた。

                新感覚のミステリー。

                一気読み必至の作品である。

                そして、続けて「見えない復讐」(角川書店)を読んでいる。

                復讐の相手が個人ではなく大学機関という「法人」であるならばという問いかけから物語は始まる。

                これも一気に3分の2ほど読み進めた。

                先に紹介した「届け物は手の中に」ほどロジカルな思考による謎の解明までには至っておらず、復讐の動機もインパクトを読み手に喚起するほどのものではない。いわゆる平凡作というものであろう。

                だが、残り3分の1で一気に面白さの加速ということも考えられる。

                楽しみしている。

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                せきしろ たとえる技術
                読書 / カーソン・ライダー 
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                  JUGEMテーマ:読書

                  芥川賞の又吉直樹、直木賞の西加奈子と共著もある作家せきしろの技術論「たとえる技術」(文響社)を読んだ。

                  思わず、なるほどと唸らされたり、ニヤリと笑ったりという表現のオンパレードである。

                  特に気に入ったのが、季節の挨拶を作れるである。

                  仕事柄、時候の挨拶を入れた文書を書く機会が多いのだが、決まりきった定番の挨拶文しか書けず、もっとセンスのあるものはないかと考えていたところだったので、グッドタイミングであった。

                  ただ、この本は実用書ではない。

                  あくまでも頭を柔らかくし、言葉のセンスを磨く上での発想に刺激を与える書であるので、いきなり、礼儀をわきまえなければならない相手に使うということはできない。

                  しかし、大いに刺激されたことは事実である。

                  夏の挨拶を書くときには、まずは夏のたとえを作ることが大切であることを説く。

                  そこで紹介された中から、秀逸だと感じたのは次のたとえである。

                  「夕立が止んだことを風鈴が知らせてくれるような夏」

                  そして、このたとえを挨拶文に変えていく。夏の部分を今日この頃に変え、いかがお過ごしでしょうかと結ぶのである。

                  使ってみたいと思わせてくれる時候の挨拶が出来上がる。

                  また、美味しさを伝えるたとえも面白かった。

                  グルメリポーターの彦摩呂方式という方法である。

                  つまり、AがBだという言い方である。

                  一例を。「肉の号泣会見だ!」味を例えるならニュースを見ておくべしという話にも深く共感してしまった。

                   

                   

                   

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                  Rのつく月には気をつけよう。
                  ミステリー / カーソン・ライダー 
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                    JUGEMテーマ:読書

                     

                    実に久しぶりである。謎解きミステリーを読むのは。

                    石持浅海「Rのつく月には気をつけよう」(祥伝社)を読んだ。

                    大学時代の仲間である、湯浅、熊井、長江という3人が登場するライトミステリーである。

                    長江の家に集まって不定期に開催される食事会。

                    その中で、必ずゲストが登場する。文字通り、3人の誰かに関係する客人である。

                    そして、何気ない食事中の会話の中に差し挟まれる謎とも言えぬような些細な言動に端を発して、文字通り、悪魔に頭脳を売ったとでもいうべき長江=揚子江がロジカルにその意味を解明していくという連作集である。

                    ロジカルに推理するという手法は石持の得意とするところであるが、この作品は理屈の角が立っていなくて冒頭にも述べたが、ライト感覚にあふれていて読みやすい。

                    なかには、こじつけに近いような推理もあるが、私は十分に堪能できた。

                    個人的には「のんびりと時間をかけて」が気に入っている。

                    登場する料理は「角煮」。

                    なぜ、彼女は得意とする「角煮」を失敗してしまったのか?

                    そこに隠された真情。

                    うーん。なるほどとうなずいてしまった。そして、自分が彼氏の立場ならなんと答えただろうかと考えてしまった。

                    よい作品とは、考える間を与えてくれるものである。それが余韻である。

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                    電車内にて・・・ 躾のできない親たち
                    雑記 / カーソン・ライダー 
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                      JUGEMテーマ:日記・一般

                       

                      最近、電車内での幼児を連れた親のマナーの悪さに辟易とさせられている。

                      つまり、公共の乗り物の中での躾ができない親たちが急増しているという実感を受けるのである。

                      わがままを言って泣きぐずり、ベビーカーから身を乗り出そうとしているにも関わらず、われ関せずとばかり自分のスマホの画面を眺めている若い母親。

                      乗り合わせたその他の客はみな一様に迷惑気な顔をして、厳しい視線を投げかけているのだが、気が付いているのか、無視を決め込んでいるのか無表情である。

                      降り際には、「赤ちゃんってぐずるもんですよね。文句ありますか。」とでも言いたげな居丈高な顔をして下りた。

                      やはり、その他の客の視線を感じていたということであろう。

                      たちが悪い。

                      先日もそうだ。小学校低学年の女児とその弟がわがまま邦題で叫び散らしている。

                      母親も父親も御義理程度に「静かに」とはいうものの、本当に静かにさせようという意志はなく、一緒にふざけている。

                      正面に座っていた私はあまりにもうるさいので、本を読み進めることができず。音を遮断するためにヘッドフォンを耳にかけた。

                      かつて、自分の息子たちが小さかったころ、やはり電車に乗ってどこかに出かける機会が多々あった。

                      小さな子どもが長時間じっとしていられるはずもなく、ぐずることもあった。

                      そんな時、どうしていたか。思い出してみた。

                      目的の駅ではないにしろ、子どもを落ち着かせるために途中の駅のホームにおりてあやしたものである。

                      それが公共のマナーである。

                      自分のための電車ではない。そういう親である以前に社会人としてあたりまえの常識すら持ち得ていない親が多い。

                      一番かわいそうなのは、そんな親に育てられた子ども自身である。

                      親は本質的に子どもの友達ではない。範を示していくべき最も身近な鑑である。その鑑が歪んでいるのだから、手前勝手な行動をとる子どもが増えるのは自明の理である。

                      その親子はその後、飛行機に乗ると行っていた。途中下車の出来ない飛行機で同じことをされたらと考えただけで、ぞっとする。

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