劇場 切なさに胸がしめつけられるラスト

2017.05.21 Sunday 19:07
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    作家 又吉直樹の待望の第2作目「劇場」(新潮社)を一気読みした。

    もともとは芥川賞を受賞した「火花」の前に書いていたという内容である。

    最後の永田と沙希の別れの場面では、思わず目が潤んでしまった。

    何年ぶりのことだろう。

    あまりにも純粋な結晶のような恋愛小説である。

     

    他人から見れば、馬鹿同士が戯れている光景にしか見えないことだろう。でも、僕は沙希が笑っているこの時間が永遠に続いてほしいと願った。この沙希が笑っている時間だけが永遠に繰り返されればいいと思った。

     

    「手つないでって言うたら、明日も覚えてる?」

    「うん? どういうこと?」

    「明日、忘れてくれてんねやった手つなぎたいと思って」

    「手をつなぐことを恥ずかしと思っている人、永くんだけだよ」

    沙希の手はとても温かかった。

     

    感覚的に共感できる表現が多く、読んでいて大好きな女性を思い浮かべることが多かった。

    そして、何といっても最後の場面。

    ふたりにとっての思い出深い舞台公演の脚本にそって、お互いがセリフを交わしながら互いの思いを即興でつないでいくのである。

    正直、やられたと思った。

    特に、永田の言葉。切ない思いが溢れ出てくるその言葉は途中から読むのが苦しくなってきた。

    「一番 会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろうな。」

    その苦しさは、その言葉を聞いている沙希自身の苦しさでもある。

    沙希の嗚咽がはっきり聞こえた気がした。

     

    ただ、欲をいえば、こんなに切なくも愛おしく相手を想っている二人なのだから、不器用だけれどお互いを求めてやまない狂おしいほどの性愛を描いてほしかった。おそらく、又吉直樹は意図的にそこを外したのだろうが、愛しているからこそ、些細な言動や行動で嫉妬に狂うし、暴力的に相手を欲するむき出しの思いもあるのではないかと思う。

     

    しかし、あくまでも個人的な意見であり、そういった描写がなくとも優れた恋愛小説であることには間違いない。

    又吉直樹の作家としての力を改めて再確認することができた。

    読み終えた後、大好きな女性に素直に逢いたいと思える小説である。

    「学問のすすめ」 いまの時代の必読の書

    2017.05.20 Saturday 18:40
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      JUGEMテーマ:読書

       

      350万人が読んだという明治期の大ベストセラー 「学問のすすめ」の現代語訳を一気に読んだ。

      言わずと知れた著者は近代日本の啓蒙思想家 福沢諭吉である。

      「歯に衣着せず」という言葉がぴったりのある意味痛快な書である。

      偉そうぶることもなく、難解な言葉も出てこずまさに直球として心に届く内容である。

      特に印象に残ったのは、第9編の「よりレベルの高い学問」についてである。

       

      独立して生活するのは、人間にとって重要なことであり、「自分の汗で飯を食え」とは、古人の教えではあるけれども、私の考えではこの教えを達成したからといって、人間たるもののつとめを果たしたとは言えない。この教えは、ただ動物に負けていないというだけのことだ。

      動物、魚、虫、自分で食をとらないものはない。食料を得て、一時の満足を得るだけでなく、蟻に至ってははるかに未来のことを考え、穴を掘って住処をつくり、冬の日に備えて食料を蓄えるではないか。なのに、世の中には、この蟻レベルで満足している人もいる。

       

      自分の心身の働きを使って、達すべき目的を達しないのは、虫けら同然のバカである。

       

      人間として産まれたからには、自分の職分に則って社会のために目的をもって貢献することが求められていると熱く説く、福沢諭吉の言葉は、いまの時代にこそ当てはまる言葉ではないか。

      政治家にしても、企業家にしても、大所高所に立ったビジョンもなく、その日の身銭を稼ぐことに汲々として過ごしている。

      理想も気概もあったものではない。

      虫けら同然のバカが跋扈する時代だからこそ、「学問のすすめ」は胸に刺さる。

      まさしく刺激的な名著である。

      コープランドを聴く

      2017.05.20 Saturday 17:16
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        JUGEMテーマ:音楽

         

        20世紀のアメリカを代表する音楽家の一人であるアーロン・コープランドの楽曲を頻繁に聴いている。

        バレエ音楽「ロデオ」「ビリー・ザ・キッド」が好きである。

        「ロデオ」を聴いていて、びっくりしたのは4つのダンスとして構成されている一曲の「ホウ・ダウン」である。

        何と、この曲は1970年代、プログレッシブロックの雄、EL&Pの名作アルバム「トリロジー」の中の同名曲の原曲だと分かったからだ。他にも「庶民のファンファーレ」がある。

        EL&Pの方が数段かっこよい仕上がりになっているので好きだ。

        そんな懐かしさを感じながら、曲を堪能している。

        映画音楽も担当し、アカデミー賞も受賞しているコープランドらしく、音像がくっきりと表れてくる印象である。

        何と言っても耳にしっくり馴染むメロディである。

        晩年のコープランドは12音的な技法に立ち返り、寡作になるのだが・・・

        個人的に一番好きなのは「エル・サロン・メヒコ」である。

        エキゾチックな香りが立ち込める佳品である。

        鬱との長い闘い 年間100冊読破をめざして

        2017.05.14 Sunday 20:45
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          JUGEMテーマ:日記・一般

          今年、2017年の大きな目標のひとつに「年間100冊読破」がある。

          今だかつて自分自身成しえていない記録だ。

          本好きであることはあつたが、年に30冊の時代もったし、最近になって50冊以上に増えた。

          就職して、結婚後はちょうど仕事の面で忙しい時期と重なり、土日であっても一日中仕事というワーカホリック的な生活を送っていた。

          その頃の土日の過ごし方を振り返ってみると、全く楽しみのない無味乾燥な疲れだけとる休日であったことを苦い経験として思いだす。当然の帰結か、肉体的にも精神的にもボロボロであった。

          以前にも記したが、鬱病も発症した。

          鬱病を「完治」とは言わない。「寛解」である。

          先月、私の先輩であり、仕事の面での恩人でもある先生に会って酒を酌み交わしたのだが、鬱病を発症して、元の状態に戻った人間は私しかしらないといってくれた。つまり、いかに「寛解」が難しいかということである。

          自分自身、振り返ってみると、妻をはじめ、友人、先輩、後輩と周囲の人に恵まれたと思っている。

          また、主治医の先生との出会いも大きかった。

          横浜の二俣川で開業している「あおばクリニック」の角田先生である。

          実は精神的に変調をきたした時、聖マリアンナ大学の附属病院をまず初めに訪れた。

          そして、紹介してもらった病院の医者は、まるで私のことを「仕事を怠けたい人間」のような蔑んだ目で見つめ、苦しさをいくら訴えても全く取り合ってもらえなかつた。

          そんなどん底にいた私を救ってくれたのが角田先生である。

          心療内科や精神科は、普通の科と違い紹介状がないと初診でみてもらえないのが通例である。

          打ちひしがれ藁をもつかむ気持ちでそのクリニックを訪ねたのであるが、受付では最初無下にも断られた。

          ところが、先生が私の様子を待合室まで見に来てくれて、あまりの落ち込みの酷さから急遽診察をしてもらえることになったのである。診察もおざなりの受答えではなく、じっくり時間をかけて、私の辛さに耳を傾けてくれた。

          今から思えば、この出会いがなければ、「寛解」の道は閉ざされていたかも知れない。

          人との出会いの中でも、医者との出会いは人生を大きく左右するものだと思う。

          角田先生はユーモアの人である。話していると思わず笑ってしまうことが多い。

          私がいま、毎日「笑顔」を大切にしている原点は、このあおばクリニックの診察室にあるのかもしれない。

           

          鬱病発症時は全く本が読めなくなった。男性は新聞などの活字が読めない。女性は化粧をしなくなる。というのが鬱病のひとつの大きな兆候である。

          その苦しい時代を超えて、今は土日で2冊をきちんと読めるまでに元気になった。そのことを本当にありがたく思う。

          100冊読破は自分が鬱に負けずに生きてきた証でもある。だから挑戦する。

           

          ふくわらい

          2017.05.13 Saturday 22:36
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            Amazonなどの書評を読むと、西加奈子の最高傑作のひとつに挙げられている「ふくわらい」(朝日新聞出版)を一気に読んだ。

            一気に読めるということは「物語」としての力が強いということである。

            暗闇の中での福笑いをこよなく愛した主人公の鳴木戸 定。

            恋愛も友情も知らずに生きてきた女性が、ありのままの自分の姿で生きていくことの意味を見つけ、新しい自分探しをしていく物語である。

            定の心情の変化に大きな影響を及ぼすのはプロレスラー「守口廃尊」の存在である。

             

            西加奈子とプロレスとの関りは「こうふく あかの」「こうふく みどりの」でも記されており、重要なモチーフになっているのだが、今回も同様である。

            リアルタイムで新日本プロレス全盛期の「猪木イズム」をテレビ中継を通して目の当たりにしてきた自分にとっては、たまらない隠し味になっている。

             

            終盤の守口の部屋での定との会話シーンが強く心に共鳴した。

            「プロレスのせいで鬱になったのに、鬱を忘れるのはプロレスやってる時だけだった。人と会うのが怖くて、だって人に会うと、キャラ作らなくちゃなんねぇって思うんだもの。怖い、怖かった。でもリングに立つと、飛ぶんだ。そういうことが、全部。相手の目をまっすぐ見れる。なあ、プロレスは言葉を使わない。言葉を、きちんと文章にしなくていいんだ。体がそれをやってくれるから。何万語駆使して話すより、一回関節技を決められたほうが伝わることがあるんだ。」「体があればいい。」

            「言葉が怖いとか、いらねぇとか言ってるけど、好きなんだ。言葉を組み合わせて、文章ができる瞬間に、立ち合いたいんだ。」

             

            プロレスも言葉も好き。どっちもあってこそ、自分自身だと言い切る廃尊の言葉は心に沁みとおった。

            自分の好きなことに全力で取り組む。それが生きるということ。

            現実の世界では、難しいテーマではあるけれど、原点に立ち返ればそこに行き着く。

            自分の体があって顔があって。傷つくたびに変化していくけれど、自分自身が変わるわけではなく、その変化こそが生きてきた証。

            それを大事にしようって励まされるような気持になった。

             

            最後のシーンは書評でも賛否が分かれているが、定が今まで抱えていた硬い殻を破って新たな一歩を進む象徴であるような気がして自分は好きである。

             

             

            ごはんぐるり

            2017.05.10 Wednesday 21:36
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              西加奈子の食に関するエッセイ「ごはんぐるり」(文春文庫)を楽しく読んだ。

              その中でも一番共感したのは「カイロの卵かけごはん」である。

               

              帰国してから、もう20年ほど経つが、実はカイロで食べたあの卵かけごはんほどおいしいものには、まだ出会えないでいる。

              あの時の私にあって、日本に住んでいる私にないもの。それは、「不自由さ」だろう。

              手間がかかつたり、何かが足りなかったり、だからこそ、一度の食事がとても美味しく有難く感じられたカイロの生活。

               

              この文章を読んでいて、深く頷いてしまう自分がいた。

               

              自分にも似たような経験がある。

              大学3年生の時、ワンダーフォーゲルクラブの夏合宿で南アルプスを縦走していた時のことだ。

              あれは確か荒川三山あたりか。

              何と台風10号の直撃を受けたのである。3000メートル付近である。

              当たり前だが、暴風雨の襲来である。テントは水浸し、雨漏りを防ぐためにテントの中で折り畳みの傘をさしていたのだが、一陣の風でなんと、金属の柄が中央部分からばきっと折れてしまった。そして、あろうことか、テントが飛ばされてしまったのである。

              幸いなことに、嵐の中をはい出て、テントを拾うことができたが、気温は真夏でも15度くらい。

              寒さで震え、水浸しのシュラフの中で最悪な一夜を過ごした。

              翌日は台風一過で見事な晴天であったのだが、自分たちがいた地点より下の三伏峠(標高2700メートル)当たりではさらにひどいことが起きていた。下山しようと思っていたグループが渡ろうとした橋が台風で破壊されて、川を渡れなくなってしまい立往生していたのである。無理に渡ろうとした女子大生が川に落ち、心臓まひで亡くなるという傷ましい事故も起きた。

              自分達の食糧も底をつき、予定の計画も中途で断念せざるを得なくなった。山岳警備隊の方の誘導で折れた大木を橋代わりに渡してもらい、這いつくばって川を多くの登山者はみな渡った。

              その前日のテントの中での会話は下山地 長野県松本に下りたら何を食べたいかでもちきりになつた。そして、不思議なことにみなが口にしたのが、あったかい握りたてのおにぎりと味噌汁であった。

               

              つまり、西加奈子も語っているように、人間は不自由な中にいると、決して贅沢なものではなく、当たり前のシンプルな食事を求めるものだということだ。だから、深く頷いてしまったのである。

              しかし、いざ松本に下りて、ひとたび食事処に入れば、結局は極上とんかつ定食を注文してしまうのも哀しいかな人間の性である。

              そんな昔のことをこのエッセイを読んで思い出してしまった。

               

              報われない人間は、永遠に報われない

              2017.05.07 Sunday 21:06
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                「報われない人間は、永遠に報われない」(河出書房新社)を一気読みした。

                書店で何気なく平積みの本をながめていたら、その鮮烈なタイトルと帯に引き込まれたのである。

                 

                ーこの世で一番「最低」な愛のはじまりから終わりまでー

                 

                自尊心の肥大した男と自己を卑下することでしか自分の存在理由を見いだせない女性。

                「嫌悪」するが惹かれ合う。「罵倒」するが赦し合う。

                孤独になることを恐れるがあまりに、緊張の糸を歩くように。

                女性の名は諸見映子。

                 

                「ただ私は必死なだけ。どうかわかって。それでどうか私を一人にしないで。私を暗闇に落とさないで。」

                「こんなにあなたのこと大事に思って、こんなにあなたのことを地獄のように愛している女を、あっさり天涯孤独の身に落とすような真似したら、きっと後悔するからね。」

                 

                疑似恋愛から始まったこの二人にとって出口の見えない恋愛は本当に恋愛といえるのか?

                孤独から目をそらせるためだけの逃げ道にしか、いや逃げ道にすらなっていないのではないか。

                自己否定はエスカレートし、自尊心が鎌首をもたげる二人の関係は読むのがつらくなるほどに痛々しい。

                それでも依存し合っている。

                 

                そして、二人にとって決定的なことが起きる。

                そこから、別れの場面までは疼痛のように心に刻まれる。

                「私は凡庸の女王。私は諦めの女王。巣の奥で動けない、怠け者の女王で、泣き言の女王で、その他大勢の幼虫の栄養分になるためだけの女王。で、誰からも愛される資格のない頂点にいる。」

                「同情だけが私にふさわしい宝石なのよ。」

                 

                しかし、これで物語は終わらない。

                出口の見えない暗い道はどこまでも延びている・・・

                 

                 

                プレートルの新世界

                2017.05.06 Saturday 19:00
                0

                  JUGEMテーマ:音楽

                   

                  「私は単なる指揮者ではなく、解釈者である。」

                  今年の1月、亡くなったジョルジュ・プレートルの言葉である。

                  形式的な演奏にとどまらず、独自の解釈による演奏には評価が分かれるところもある。

                  だが、私にとって好きな指揮者の一人である。

                  そのプレートルの「新世界」を聴いている。

                  シュトウトットガルト放送交響楽団による1996年のライブである。

                  同じプレートルの有名な演奏にパリ管弦楽団によるスタジ録音盤もあるが、また趣が違っていて楽しい。

                  やはり、この演奏でもプレートルの面目躍如である。

                  特に第4楽章。

                  頻繁に動かされるテンポ。ドライブするオーケストラ。緊張と弛緩が連続しておとずれ、聞き手を感動の坩堝へと追い込んでいく。

                  全体を通してみても、そのスピード感に圧倒される。

                  ドヴォルザークのチェコの土着性など微塵も感じない稀有な演奏である。

                  スタイリッシュという点ではカラヤンのベルリンフィルの演奏が大好きなのであるが、このプレートル指揮による演奏も魅力がある。

                  それから、CDジャケットのプレートルのたたずまいがかっこいいのである。

                  ジャケットの指揮者の姿でかっこいいと感じたのはクレンペラー以来である。

                  カップリングのマーラーの交響詩「葬礼」もドラマ性を感じさせる見事な演奏である。

                  ふる

                  2017.05.06 Saturday 17:25
                  0

                    JUGEMテーマ:読書

                     

                    西加奈子の書下ろし作品「ふる」(河出書房新社)を読んだ。

                    正直、印象の薄い作品である。西加奈子にしては平凡作ではないかと思う。

                    モチーフは女性器である。

                     

                    誰かの子どもとして産まれて、いろんな人に出会って、いろん経験をして、それを簡単に忘れ、手放し、それでも私たちは、祝福されているのだ。

                     

                    全身麻痺の老いた祖母の介護をしている中で、祖母の性器を見つめ、同じ女の人であるという思いを深く得る。

                    そして、生きていることの意味を主人公の池井戸花しすは改めて知る。

                     

                    この作品に込めた西加奈子の伝えたい思いは分かるのであるが、それぞれの登場人物や花しすのかかえる心的な葛藤のようなものがあまり伝わってこないために、なかなか他の作品のように共感したり、感情移入したりすることができなかった。

                    題材としては面白いと思うので、もう少し丁寧に書き上げるともっと素敵な作品になったのではないかと思う。

                     

                    今は、エッセイの「ごはんぐるり」を読み始めている。

                    ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展

                    2017.05.06 Saturday 17:04
                    0

                      JUGEMテーマ:日記・一般

                       

                      5連休のGWもあっという間の過ぎ去っていくという感じである。

                      そんな中、昨日は東京都美術館に行った。

                      お目当てはボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展である。

                      一言でいうと面白かった。24年振り来日の傑作を堪能できた。

                      絵自体はそんなに大きいものではないが、その絵を東京藝術大学COI拠点の人たちが再現した3Dコンピュータグラフィックやアニメーション技術を駆使して「バベルの塔」をマクロとミクロの視点で紹介した動画が素晴らしかった。

                      ブリューゲルは「バベルの塔」の中にわずか1ミリ単位の筆遣いで人物を1400人描いている。

                      それは実物では幽かに分かるほどもものだが、CGで再現されものの中ではくっきりとした存在感を放っている。

                      小さな人々を、今にも動き出しそうな気配をこめて描いたブリューゲル。

                      その精緻さはまさに圧巻である。

                      だからこそCGの中で動かしてみようという発想につながったと東京藝術大学COI拠点リーダーの宮廻正明氏は語る。

                      また、「バベルの塔」にちなんで、旧約聖書の「創世記」から読み解くという公式ガイドブックも楽しめた。

                      知っているようで知らなかった「バベルの塔」にまつわる神と人間の関係。

                      バベル=混乱。

                      「バベルの塔」が示唆しているものは神からの人間に対する戒めという考えが一般的だが、ブリューゲルの精緻な絵画をみていると、その描かれている世界観はただそれだけではないような気がする。

                      バベルの塔の高さ。約510メートル。

                      その高さの建築物を作り上げようと挑み続ける人間の姿こそブリューゲルは描きたかったのではないか。

                      ちなみに「バベルの塔」は現代にも生き続けている。

                      フランスの南にある欧州の首都ともよばれるストラスブールにある欧州会議場は「バベルの塔」をモチーフにしている。

                      私の大好きな建築物のひとつである。

                       


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                      • 2030年原発ゼロは嘘八百 国民愚弄内閣の正体
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