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8月に入って初めての投稿となる。
書きたいことは山ほどあったのだが、趣味が多いので優先順位としてこのブログまで辿り着けないという状況であった。
このブログは日々の備忘録的な意味合いもあるのでオリンピックも終わった今、書き残しておかなければならないと思った。
私は個人的には今年のオリンピックの開催には反対であった。
アーチェリーのオリンピアンである山本博さん同様、オリンピックそのものに異を唱えるつもりはない。
だからあと1年延期でいいと考えていた。
案の定のコロナ感染の爆発的な増加である。自民党の丸川五輪相は感染の増加にオリンピック開催は無関係などと寝言を言っているが、外国からのアスリートは受け入れて、国民には自粛を要請したり、他県への移動を控えろと言ったりしたところで説得力などあるわけはない。つまり人流は減らなかったどころか増えたのである。
ある意味、何の具体的な策も取らなかった菅政権の失政である。だから、支持率が30%を切るのだ。
広島や長崎を訪れての演説にしても、文章を読み飛ばしたり、被爆者の支援について触れなかったり、全くと言っていいほど一国のリーダーとしての体を成していない。情けない限りである。
オリンピックに関しては開催と決まったからには、アスリートをできるだけネットの映像越しに応援した。
サッカー、野球、ソフトボール、スポーツクライミングを観戦し、応援した。
水泳などの個人種目を応援しなかったのは、この状況下においてエゴが見え見えの選手がいたので、全く関心はなかった。
野球もソフトボールもパリ五輪では種目から外されるが、日本人の良さが体現されていたように思う。
当たり前のことをきちんと行う姿。凡事徹底。金メダルの授与式で中日の沢村賞受賞投手の大野投手がメダルを天にかざしている姿が印象的であった。急逝したチームメイトの木下投手へ向けたものであった。
メディアの感動の押し付け報道には辟易としたし、この時代にあっていまだメダルの数を競うようなナショナリズムの煽り方には嫌気がさしたが、スケートボードのようにメダルも国も関係ないという選手の姿に素直に感動を覚えた。
種目数も増え、一つの都市でオリンピックを賄うことには限界があることを示している。アメリカの放送局の顔色を見て、炎天下の夏に開催することの暴挙。既得権益まみれのIOCの体質。「多弁は無能」を象徴したバッハの開催式での「連帯」を連呼したバカ丸出しの長話。
賛否はあるが「ミスターアマチュア」と言われたブランデージのような真のリーダーシップを発揮する人間はもう存在しない。
姑息。小物。そういう言葉がぴったりの組織の体質である。
コロナ感染はまだまだ続く。私の住む神奈川県の医療体制は逼迫し、東京都に迫るような新規感染者数である。
自分の身は自分で守るしかないと深く言い聞かせている。
健康のために散歩はしているが、極力家にいる。自分で言うのもなんだが、まさに優等生的な過ごし方である。
読書、楽器練習、YOUTUBE配信。やることは多いし、充実している。
出歩くことが退屈を紛らわせるなんて嘘だ。しみじみ痛感している。