「筆洗」のコラムに切れ味を感じる。
天声人語は何か格調高くをモットーにしているようで、鼻につく感じがする。
昔の天声人語の切れ味は鋭かった。
文庫本でたくさん持っているが、一番のお気に入りは疋田桂一郎氏の天声人語だ。
読売の編集手帳は全くの平凡の極みである。
毎日の余録はなかなか個性的で好きである。毎日新聞らしさが表れている。
産經の産經抄は偏向であり、お好きな人だけどうぞという世界観に満ちたものである。
さて本題に戻る。
沖縄が返還されて40年が経った。
返還されたとき、自分は小学6年生であった。
しかし今もって、基地の県であることに間違いはなく、迷走状態が続いている。
それこそ沖縄のかかえる最大の問題点であり、苦悩である。
一体、本州に暮らす私たちはその痛みを分かち合おうという努力をしてきたのだろうか。
してこなかった。
誠意すら見せてこなかったというのが本音であろう。
日米の安全保障体制は大切である。
しかし、いつまでも沖縄に基地の負担を担わせ続けていいという結論になるのは短絡的ではないか。
自分のくらす地域さえ何事もなければよいという発想では、日本はいつか国そのものがメルトダウンを起こす。そんな恐ろしさを感じてしまう。
- 2012.05.15 Tuesday
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- 18:43
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- by ジャック・ウォルシュ
