6年ぶりの寒冬に想うこと

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    オキシモランとは、矛盾する語を並べて効果をあげる修辞法だ。語の意味がぶつかり合うということで、日本語では撞着(どうちゃく)語法などという.
    英語の辞書には、「無慈悲な親切」「ゆっくり急げ」などが例示される.


    暖冬という言葉があるが、よく考えたら語の意味がぶつかりあっていると考えれば、オキシラモンといえる。

    今年は気象庁の発表によると六年ぶりの「寒冬」だということである。
    冬は寒いのが当たり前だったため、広辞苑にはこの寒冬という言葉は掲載されていない。

    とすると、当たり前の冬の到来ということになる。

    ただ、このところ頻発している地震などのことを考えると、被災地の東北地方の方々にとっては、当たり前の冬の寒さが身にこたえているだろうと想像できる。
    今年の風邪やインフルエンザは明らかにこの寒さが主原因であるといわれている。
    被災者の方の身を案じるばかりだ。

    とはいえ、来週には節分、立春を迎える。

    厳しい寒さの中での「春」という言葉は、実感としてはぴんとこないものの、希望をもたらす言葉でもある。個人的に、春は好きな季節である。

    昨年は2月下旬から体調を崩し、耳が聞こえなくなった。自宅療養中で3.11を迎えた。
    あの時のすさまじい揺れは忘れられない。

    苦しみの中からの年度のスタートだった。

    しかし、開けない夜はない。
    必ず、朝は来る。
    希望を胸に久しぶりの寒冬を乗り越えていくだけだ。


    アウシュビッツと原爆の風化問題

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      【ベルリン=弓削雅人】ドイツの若者の五人に一人が、第二次世界大戦中のアウシュビッツ強制収容所がナチス・ドイツによるユダヤ人の絶滅を目的にした収容所だったことを「知らない」と答えていることが、二十六日発売の独誌シュテルンの調査で分かった。

       調査は、同収容所が旧ソ連軍によって解放されてから六十七年に当たる二十七日に合わせ、ドイツに住む約千人を対象に行った。

       それによると、回答者の90%はアウシュビッツが強制収容所だったと正しく答えたが、31%は収容所が現在のポーランド南部にあることを知らなかった。十八〜二十九歳の若年層では、21%が収容所が何だったかも「知らない」と答えた。

       アウシュビッツ収容所では、連行されたユダヤ人がガス室などに送り込まれ、約百五十万人が犠牲になったとされる。跡地は博物館として保存され、二〇一〇年には世界から百三十八万人が訪れた。

      かれは今日付の東京新聞のWEB版に掲載されていた記事である。

      ドイツだけが深刻なのではない。

      広島の小中高校生を対象にした原爆を投下された日を8月6日と正確に答えたつまり理解している子供たちの割合が3割だという事実が報告されている。

      なぜ、こういう事態が引き起こされているのか。それは日本でいえば平和教育と人権教育をからめた学校教育が一貫性をもって実施されていないということと同時に、通史的な学習では当然、近現代史がおざなりに扱われる結果を招くという証明でもある。

      また、戦争を風化させる土壌として、語り伝えていく努力を教師自身が知識を獲得していない、知るための努力を放棄しているという問題もある。

      戦争があたかもアフガンやイラクなど遠い国々での出来事であるかのようなマスメディアの姿勢にも問題がある。

      昨年のアメリカの極秘裏の核実験にしても、現在のイランの核開発をめぐるアメリカを中心とした国々とイランの対立。イランへの経済制裁。ホルムズ海峡の封鎖など、きな臭いことばかりが起きているにも関わらず、他人事のようにそれをながめているのが日本人の現在の姿である。

      震災も怖いが、戦争はもっと怖い。
      どちらも静かにやってくるのだ。

      事実をどう認識し、無知であることの愚かさに気付いていくのか。そして、事実をどう次の世代に伝えていくのか、50歳以上の世代の抱える責任は重い、自戒をこめてそう思う。
       


      私がシュールレアリスムだ  救世主ダリ

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        JUGEMテーマ:日記・一般
        絵を描くことは苦手なのだが、美術館に行ったり、画集を鑑賞したりするのは好きである。

        いま、よく見ているのはサルバドール・ダリの画集である。
        サルバドールとは「救世主」という意味である。
        シュールな絵の中にあって、ダリの絵は本質をとらえているような気がして好きである。

        一番はと聞かれても、その時の気分でこれと答えられないのであるが、1943年制作の「アメリカの詩」が今は自分の心に共鳴している。
        ここに絵を添付していないので、うまく伝えられないが、背景にある時計の下で、やわらかくしおれたような形をしているのがアフリカ大陸である。
        よく目を凝らしてみると、そのアフリカ大陸が涙を流している。

        これは、ダリがアメリカ滞在中に制作したものであり、差別に苦しむアフリカ系アメリカ人の悲しみとされている。

        また、コカコーラを絵の中に取り入れた世界初の作品としても有名である。

        「肩の上で平衡をとる2本の仔羊のあばら肉のあるガラ」も個人的には印象深い作品である。
        ガラとはダリの才能を愛した生涯唯一の女神といわれている。

        ダリは父親から性病の恐ろしさを教えられ、女性恐怖症であったのは有名は話であるが、その恐怖を取り去ったのがガラである。

        晩年の「18メートル離れるとリンカーン大統領の肖像に変容する海を見つめる裸のガラ」は2012年の現在の作品といっても通用するホノグラムや自動制御理論の専門家に力を借りて作った傑作である。

        最後の最後までダリは異彩を放った天才であったと思う。
         


        ワイズクラックのオンパレード

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          JUGEMテーマ:読書

          たったいま、2012年の第10回「このミステリーがすごい大賞!」の大賞受賞作である、法坂一広の「弁護士探偵物語 天使の分け前」を読み終えた。

          巻末についている選考委員の書評では今回ほど受賞作を決定するにあたって紛糾した年はないそうである。

          内容はハードボイルド。嫌いではないが、いかんせん、どの書評家ものべているようにワイズクラックのオンパレードで、緊迫感がある場面でも多用されているので、鬱陶しい印象はぬぐえない。

          書き出しから、事件の本筋への流れはうまいと感じた。

          しかし、デニス・ルヘインのパトリック・アンジーシリーズなどを読んでしまっていると、ハードボイルドとしての質も何だかこじんまりとしていて、迫力に欠ける。もっとも、日本の福岡あたりが舞台だとこれでも精一杯なんだろうが・・・

          悪人つまり犯人像も薄っぺらな小悪党にしか見えてこないのが残念である。

          多くの書評家の方の意見通り、今後の活躍に期待をするしかない。

          正直、大賞作としては物足りない完成度である。

          チャンドラーのパロディなのかどうかは、自分がチャンドラーを読んでいないので分からない。
          しかし、背景に流れるジャズも、個人的にはパーカーもデスモンドも好きなので、全然話の流れとか関係ない部分で楽しめたが、一般的な若い読者にはどうなのかという疑問も少なからずある。

          この本を読んでいるなかで僕にはデスモンドのアルト・サックスは胸に響いてこなかった。
           


          呆れた文科省の言いなりになっていいのか

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            JUGEMテーマ:日記・一般

            僕は一教育に携わる者として、いまとても腹を立てている。
            文科省は年度内までに放射線や放射能の授業を必ず実施するようにと通達を出した。
            横浜市はそれを受け、各学校一名の職員を招集し、研修会を実施した。
            そして、各校において、その研修をうけてのどんな授業を行うかの研修会が開かれた。

            その内容は偏向そのものである。
            そもそも、放射線や放射能の授業を義務付けた背景は昨年の3.11によるフクシマ原発のメルトダウンにいよる放射能の拡散の人体への影響が直接の要因ではないか。
            ところが、フクシマの話題にはふれるなという但し書きまでついている。

            全く愚かしい。

            文科省の主催する「原子力教育支援情報提供サイト あとみん」では、原子力の安全利用の立場から偏ったコンテンツのてんこ盛りで、小中高の教師および子供が自由に閲覧できる仕組みになっている。
            当然、都合の悪い原発事故などの記述は削除である。

            こういう欺瞞に満ちた文科省のつくるお仕着せの資料を用いて学習することは、子供の命と安全を守らねばならない立場の私たちの職責を放棄する蛮行である。

            なぜ、内容を見て抗議できないのか?

            自然界からも放射線は出ている。レントゲンなどで役に立っている面もある。
            そんな次元と原発のメルトダウンをいっしょくたにしているところに腹が立つのだ。

            先日。横浜では「脱原発世界会議」が行われ、2日間で約15000人の方が世界各国から集まった、
            インターネットを通じての参加者を含めると膨大な数である。
            その中で、水爆被曝をうけた第5福竜丸の乗組員である大石又七さんの講演もあった。

            そういう時代の流れの中で、その流れに竿をさす教育を行うことに何の意味があるのだろうか。
            そういう感覚すらない同僚たちの感度の低さにもいら立ちや腹立たしさを感じる。
             


            ヒバクシャになったイラク帰還兵

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              「ヒバクシャになったイラク帰還兵」を読み終えた。
              アメリカが湾岸戦争およびイラク戦争で使用した劣化ウラン弾による被害の実相はなかなかメディアを通じて伝わってこない。

              劣化ウラン弾は「核のゴミ」が原料である。

              国連の人権小委員会で1996年に劣化ウラン兵器を無差別兵器と同様に、国際人道上使用することが違法であるという決議を採択したのだが、無視されたままだ。

              その背景には国連に影響力をもつアメリカの隠蔽工作および脅しがあることは間違いないといわれている。

              アメリカは機密文書から60年以上も前から劣化ウランの危険性を熟知していたことが明らかになった。
              しかも、1974年から1989年まで、ラットなどの動物実験を通して劣化ウランの有毒性を確認している。1991年には、アメリカの核研究機関であるロス・アラモス国立研究所が「劣化ウランは環境への衝撃度は大きいが、戦場では有効な兵器であり使い続けるべきである。」と述べている。

              そういう危険度が分かっていながら、イラクに派兵した兵士には任務の士気がさがることをおそれ、何の危険性も事前に告知しなかった。

              いわんや戦場の舞台となったイラクの民間人の命など虫けらほどにも考えていなかったということが暴露されたのである。

              自衛隊が派遣されたサマワも劣化ウランで汚染された地域である。

              アメリカに絶対に従うかたちで現地に赴いた自衛隊員の中にはもしかしたら、帰国後、原因の不明な体調不良に悩まされている者がいても不思議ではない。しかし、勇気あるアメリカ帰還兵のように、ものを言える社会になっていないのが我が国の実相なのだ。

              なぜなら、科学的な根拠を示すことが難しいからである。しかも、WHOすら、事実を伝えていないのが現実である。
              劣化ウランの被害は戦後も長期的に影響を及ぼすという報告書をキース・ペッパード博士がまとめたのであるが、WHOの上層部は何らかの理由で握りつぶしたのである。
              WHOが根拠を示せないのに、科学的根拠がないから、劣化ウランとイラク帰還兵の体調不良や生まれてきた子供の先天的異常、イラクでの白血病や無脳性などの奇形児の出産の爆発的な増加は劣化ウランとは関係ないというアメリカの主張は欺瞞であり、全くもって非人道的であり、犯罪ですらある。

              大量破壊兵器ありきでイラクに乗り込んでいき、民間人を殺し、永久的にがんで苦しむ国にしたアメリカこそ、大量破壊の核兵器を使用した張本人ではないか。
              なぜ、国際法上の違法行為として裁かれないのか?


              田中慎弥のエッセイを読む

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                JUGEMテーマ:読書
                小さな旗 田中慎弥  2011年4月11日掲載

                 今日が最後なので何かそれらしいことを書こうと思っていたところへ、東北・関東を襲う地震。作家なのだから、世の中の重大な出来事には背を向けて、こんな非常時になんと不謹慎な、と眉をひそめられるようなことを書かなくてはならない筈(はず)だが、テレビに映し出される、もの言わぬ地震と津波の圧倒的な威力を見ていると、自分が何かを言ったり書いたりしたところでなんの意味もないのではないか、と感じてしまう。
                 
                 ここで言う、なんの意味もない、というのは、自分が災害に対して何も出来ない、ということだけではない。私は普段、生きるため、自分のためだけに小説を書いている。収入を得るため、自分自身を解放するため、と言ってもいい。その、自分のための、自分なりに力をこめて書いた小説は、災害ほどには人に影響を与えない、と思ってしまうのだ。そんなことは当たり前だが、例えば被災者が読んで、ほんのわずかな時間だけでも苦しみを忘れるような小説が、書けないものか。災害とは全く無縁の爽やかで美しい作品でもいいし、逆に徹底的に悲惨な人間の姿でもいいし、でなければホラーで怖がらせるか、避難所で読むのがはばかられるドロドロの不倫劇で引きずり回すか。
                 
                 しかし私はいまのところ、被災した人だろうがそうでない人だろうが、多くの読者を獲得出来るような小説を書けていない。厳しい現実を直接反映させた問題提起型の小説は、現実そのものの前では圧(お)し潰(つぶ)されてしまう。現実を凌駕(りょうが)するか、現実から百歩も千歩もあとずさり、どんどん遠ざかり、逃げ続けるか。どちらにしろコースを一周すれば同じ地点に出る筈だ。そこにしか、小説という小さな旗は立てられない。勿論(もちろん)そのコースは、自分で切り開くしかない。
                 とりとめのない連載だったのでとりとめのないまま終わることにする。担当記者に感謝。
                 

                今回の芥川賞を受賞し、不遜な態度でインタビューに応じた田中氏の朝日新聞の山口版で担当していたエッセイの最終話を紹介した。
                赤字で拡大した部分を読めば、彼という人間がそのまま反映されていると思う。
                災害と小説を同じ土俵で語ることが不遜であるし、逆に小説は小さな旗であるとも思わない。
                重松清の峠うどん物語でも記したが、小説の力を信じている。
                田中氏は自虐的にもなるようだ。端的にいえば、多くの読者を獲得する内容が書けていないだけの話である。
                批判するだけでは嫌なので、書店に行って彼の問題作といわれる「犬と鴉」の表題作を読んだ。
                率直に言って、彼は純文学というものを勘違いしている。
                比喩を多用れば、高尚なもの、文学的な価値の高いものになるとでも思っているのか?
                読んでいて、途中からつまらなくなって読むのをやめた。

                悲しみほど甘い蜜はない。という祖母の繰り返しの言葉を受けて、戦争の中から甘い蜜である悲しみを見つけようとする男の物語である。ネタばれになるので相当簡略化して書いた。

                言いたいことはわかる。人の不幸のほうが幸福以上に関心を呼び、人が群がるという比喩であろう。
                ワイドショーがその好例である。一億総ワイドショー化。

                しかしだ。状況設定が読者の共感をまず呼ばないだろう。
                戦争や災害の被害者は「ふざけるな」と言うだろう。不快感を抱くであろう。
                だから、純文学を勘違いしているといっているのだ。
                作家だから、非常時に不謹慎なものを書かなければならないはずという言葉が彼の物書きとしての姿勢を象徴している。
                それは、彼自身のパーソナリティの問題である。人間の資質と言い換えてもいい。
                作家だからではない。作家である前に人間である。素直に甚大な災害を目の前にした普遍的な人間の物語を虚構の中で創作するのが職業人としての作家の存在理由ではないか。

                脚本家 山田太一の「岸辺のアルバム」がその好例である。

                文学は技巧ではない。ノーベル文学賞を受賞したクッツェーは難解な言葉を使わずして、簡潔な文体ながら、非常に密度の高い、現代的なテーマの文学を創出している。

                あざとい比喩の多用で、自分は作家だからこういう表現もできるのだよという書きぶりには辟易とする。だから、彼はおそらく性格的な面からして小説に力を与えられる作家にはなりえないと私は断言する。読者をなめないでほしい。


                第4の壁は敗者の嘘を越えられなかった

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                  JUGEMテーマ:読書

                  さきほど、堂場瞬一のアナザーフェイスシリーズの3であり最新刊である「第4の壁」を読了した。
                  これで、アナザーフェイスシリーズは現時点で全部を一気に読み終えたことになる。
                  この三作目の評価は厳しい。

                  「敗者の嘘」のような展開に起伏があるわけでもなく、魅力的な脇役となる人物が登場する訳でもない。
                  主人公が学生時代にかかわっていた劇団が20周年を記念しての舞台「アノニマス」の舞台で演技中に殺人が起こる。

                  そして、主人公である大友 鉄が、私情と刑事としての現在の立場に揺れながら、自ら進んでかつての仲間の身辺を洗い、事情聴取を繰り返して、事件の真相を暴くというものである。

                  内容は、演じられていた舞台同様に地味であり、密室劇を読んでいるかのような錯覚に陥る。

                  たどりつく真相は人間の性や業が狂気という形で提示されることになるわけだが、「敗者の嘘」を上回る質になっているとは言い難い。
                  演劇の世界で生きる人間の虚構と現実の境目の喪失について述べているのであるが、その狂気の描き方が薄いのだ。

                  大友 鉄(主人公)が役者の道を捨てて、刑事の道を選ぶ理由が語られるなど、シリーズが続いていくと仮定するならば、主要な部分が語られているわけで、それはそれで興味深いのではあるが・・・

                  しかし、その挿話も何だか幕切れのための添え物的なエピソードにしかなっていない気がする。

                  残念だが評価として★3つである。



                  不遜な態度の中に透けて見える賞へのこだわりの幼稚さ

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                    JUGEMテーマ:ニュース
                    第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に円城塔(えんじょう・とう)さん(39)の「道化師の蝶(ちょう)」(群像7月号)と、田中慎弥(たなか・しんや)さん(39)の「共喰(ぐ)い」(すばる10月号)が選ばれた。同日夜の受賞会見で、5回目の候補作での受賞となった田中さんは終始、不機嫌でぶっきらぼうな態度をとりながら、「もらって当然」と受賞の気持ちを表現した。

                    自分は田中氏の今までの作品を読んでいないので何ともその内容についてコメントする資格はない。

                    しかし、アメリカの名女優のシャーリーン・マクレーンの言葉を引用して、芥川賞をもらって当然と、のたまう姿勢には不快感を感じる。

                    今まで4回落とされたことに対してのコンプレックスの裏返しなのだろうが、結局、権威ある賞にこだわっているだけであり、実にうすっぺらな人間である。
                    彼が引用したアカデミー賞にしても、アカデミー会員のお眼鏡にかなったものが受賞しているだけであり、たとえば、名匠アラン・パーカーの「ミシシッピーバーニング」などは絶対有力といわれながら、アメリカの負の部分である、公民権運動家の殺人事件を取り上げたということで受賞をしていない。

                    だからといってアラン・パーカーがぐだぐだ文句をいうわけでもなく、地味だが良質な映画を撮り続けている。もちろん賞とは無縁である。
                    そう考えると田中氏はみっともない賞おねだり作家ということである。

                    天才・芥川龍之介は草葉の陰できっと嘆いているだろう。

                    そもそもこれだけ、国内で文学賞が乱立している国はあるのだろうか?
                    もういいよと言いたくなる。

                    よっぽど「本屋大賞」のほうが説得力がある。本を売っている側の書店員が選んでいるのだから。

                    この芥川賞を最後に石原都知事は選考委員を辞退した。理由は、自分に刺激を与えるような作品を若い作家が創作していないからというものである。
                    そういう挑発に対して、皮肉でしか言い返せない態度も稚拙そのものである。

                    こういう不遜な輩が受賞するから芥川賞が一般読者から乖離し、その賞の価値も低下していくのだ。


                    無責任な書評に惑わされるな!

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                      JUGEMテーマ:読書

                      堂場瞬一のアナザーフェイスシリーズの最新刊「4つの壁」をさっき書店で買ってきて読み始めている。

                      ところで、2の「敗者の嘘」がどのような一般読者の評価を受けているのか気になったのでアマゾンのブックレビューを読んでみた。
                      堂場瞬一のファンである人の評価は自分と同等かそれ以上であったが、結末に不満を抱いている人が数名いた。

                      自分はどんでん返しという表現を使い、その返し方もきわめてフェアなものであるとこのブログ上で書いたので全く異なる意見ということになる。
                      本でも絵画でも、音楽でも個人個人いろいろなとらえがあってよいと思う。

                      ただし、今回の件に関しては一言言いたいことがある。

                      かつて、アガサ・クリスティの名作である「アクロイド殺し」がフェアかアンフェアかという大論争を巻き起こした。自分はフェア派であるということを確か、このブログ上でも記した。

                      どんでん返しや結末のひねりという本は数々読んできたが、酷いものが正直多数ある。
                      「えーそれはないだろう。」と思わず呟いてしまうような内容である。
                      作家でいえば、折原 一、歌野昌午などの作品が幾つかあげられる。

                      あの結末ではと記した方々は他の作家のミステリーなり推理小説を読んで、責任をもって書いているのだろうか?
                      アマゾンのブックレビューに書いたものを見て本を選ぶ人も多いと思うのだが、少し無責任すぎないか。よほどひどい作品でないかぎりは未読の方の興味をそぐ内容を書くのは失礼であると思う。

                      あの終わり方は自分はうまいと思う。ともすれば真犯人が分からずじまいという状況のなか、ふとした手がかりから、最後の数ページで論理的にも破綻なく締めているからだ。
                      文句をつけた人はあの物語の本当の面白さ、作家が仕掛けたプロットの本質が分かっていない。
                      勧善懲悪、水戸黄門的なミステリーが好みなのだろう。
                      ジェフリー・ディーバーのひねりやトマス・H・クックの鉛色のような結末にはきっと嫌悪感を示すのであろう。
                      もっと多くの本を読んでから書評をかいてほしい。

                      だからと言って自分は「敗者の嘘」に★5つをつけようとは思わない。
                      せいぜい4つ未満であろう。
                      まだまだ、松本清張や宮部みゆきの世界は遠い。
                      それでも、1が★3つどまりだったので満足感を覚えたのである。
                      読者の良いところを見つけようとする姿勢が作家の質を高めるということはあると思う。
                       


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